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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

野田秀樹の戦争鎮魂歌「逆鱗」

2016年03月16日 | 観劇など
NODA・MAP第20回公演 『逆鱗を池袋の東京芸術劇場で観た。
野田の芝居は、MIWAもエッグも予約抽選ではずれたので、2010年の「ザ・キャラクター」以来6年ぶりになる。平日昼間の東京芸術劇場に入ると8割方女性客で、まるで東京宝塚劇場の様相だった。かつての遊眠社の芝居のファンだと思しき中高年女性、母娘などが多く、たまに若い男性がいるとまるで若い日の自分を見るようでうれしかった。
下記の感想は、いわゆるネタバレを前提にしているので、そのおつもりでご覧いただきたい。  (いちおう東京公演の楽日過ぎまでアップを控えました)

舞台はとある水族館、大きな水槽に人魚をつかまえて入れようというところから始まる。人魚は人と魚の合いの子、最後は人魚は人間と魚雷の合いの子「回天」で、特攻するが不発で敗戦後も海底に沈むという話で終わる。野田秀樹の戦争レクイエムである。特攻レクイエムというと、たとえば石原慎太郎の「俺は、君のためにこそ死ににいく(新城卓 2007)が思い浮かぶが、さすがに野田のシナリオはそれほど単純ではない。またシンプルな反戦演劇でもなかった。
オープニングは、NINGYO(松たか子)の「その姿を、潜水艦の窓の外から私は見ていた。私は、あなた方の体の咽頭と呼ぶ部分から喉頭と呼ぶ部分へと続く筋肉の半ば手前で音を出したくなった。それがたぶん、あなた方にとって「泣く」ということだ」(p16 セリフは新潮2016年3月号より ページ数も同様 以下同じ)というモノローグから始まる。
井上ひさし原作「木の上の軍隊(2013年4月こまつ座)での沖縄の女(片平なぎさ)の叫びを思い出した。この芝居は戦後2年間ガジュマルの木の上で暮らした伊江島の2人の兵士を描いたものだが、戦後暗い海の底で眠る兵士という点で似ている。
鰯の群れからばらまかれた大量の鱗、きらきらした目くらましが野田の世界に引きこんでいく
野田の芝居なので、もちろん言葉遊びはたくさん出てくる。
たとえば「人魚はいるか?ショウ」という人魚とイルカのあいまいなショウ(ウは鳥の鵜)、
 潜水鵜の鵜長 有頂天(p27)、遠く古代の人魚 コダイ妄想(p36)
 腐乱死体、フランケンシュタイン、フラダンス、フランシーヌの場合は(p34)
 腐乱死体 フランス人としたい、フランダースの犬としたい(p47) 
などだ。
時の人の名もいくつか出てきた。たとえば、号泣県議や小保方晴子さん、エグザイル、神田うのなどだ。
「死体から流れ出した時間は海の水に溶けて塩になる。人魚は死者の『時間』を食べて生きる」「海で死んだ人間の首のあたりに塩が固まり青白く光ると、それが鱗になるの」「死んだ人間たちの時間は、元に戻りたくて鱗も逆さになる、人魚はその逆鱗を食う」(p48一部要約)
その鱗には鱗ひとつずつに文字が彫られている 文字を並べると“NINGYO EAT A GEKIRINN”(p52)「人魚は逆鱗を食べる」・・・海の底から上の人間に送られてきた暗号(p58)
野田ワールド全開である。
 人間との違いは死生観で「『人魚は早く死ぬことが美しく、親よりも先に死ぬことが潔し』と考えています」(p55)
届かなかった電報の文面「オキユクインディアンノバシャニ チビモデブモノッテハオラズ バシャハカエリミチ」(p56)
「いつも人魚はカッサンドラー。人に不気味な予言をもたらすために現れる」(p61)
しかし「注文の多い料理店」のように不気味さがだんだん増幅していく。
「47人というところがミソだ、悲壮感が漂う。47人は、みな海の底で死体となるでしょう」(p63) 
「イルカだって武器に使えるからね」(p65)
“NINGYO EAT A GEKIRINN”の鱗がばらばらになり「“NINGEN GYORAI KAITEN”人間魚雷回天と言う文字に変わる」(p67)
「人と魚をくっつけて人魚。でもこれは人間と魚雷をくっつけて、人間魚雷。略して人魚です」(p67)
ついに謎が解き明かされる。
「リトルボーイ(広島原爆)とファットマン(長崎原爆)をのせた重巡洋艦インディアナポリス号が沖をゆく ただちに人間魚雷をハッシャセヨ」(p72-73要約)
「お前たちは、これから、その勇敢なる生け贄、聖なる鳥、潜水鵜として、魚雷と同化し、任務を全うしてもらいたい」(p74)
「爆音したか?」「見事、撃沈です」(p77)
「お前は、怖くないのか?」「出で立つや 心もすがし るりの風」(p79)
   この句は実際の回天特攻隊員 玄角泰彦中尉(22歳)の作だ。

そしてエンディングに向かう。
「あの、息子の最期の様子を。」「私の息子が誰だったか私が忘れてしまうことよりも、私の息子があたた達に忘れ去られること、それが愛(かな)しい」(p80)
「俺はまだ、この水底に引っかかったままだ。もうじき俺もいなくなって、ここは誰もいない海になる」(p82)
最後のセリフは、「私の咽頭部から喉頭部へとつづく・・・」というNINGYOの冒頭のセリフが繰り返される。

ベトナムのソンミ村事件を題材に、宮沢りえがリングサイドで実況放送をした「ロープ(2006)をちょっと思い出した。あの芝居は戦争の犠牲者・住民がテーマだったが、今回は加害者・兵士がテーマで、しかし若い兵士は被害者でもあることを描いた。
そういえば映画「肉弾(岡本喜八 1968)の寺田農がまさにこの特攻隊員の役をやっていた。回天にのったまま骸骨になり、唐笠を差して、海底ではなく終戦後の海面を漂っていた。昨年が戦後70年、今年は71年だが、1年遅れで上演するところが野田のシナリオのよさだ。
演出では、ばらまかれた大量の鱗、きらきらした目くらましだけでなく、海面から落ちてくる泡(あぶく)が美しかった。人間の声が入っていて鉛の泡なので沈むのだ。
またアンサンブルというようだが、男性13人、女性10人の踊りはきれいだった。
役者では、銀粉蝶(鰯ババア、逆八百比丘尼)が、落合恵子のような髪型で現れた。声は若く、テレビでは「花燃ゆ」の奥御殿総取締役・園山のイメージだが、この人は本来新劇の人なのだと実感した。
井上真央(鵜飼ザコ)は、丸顔・おかっぱの女の子「ザコ」役。みたところアンドロイドのような表情のない役だった。パンフに「前作MIWAで『言葉を届けてお客さまに聞いてもらう』ことが大切なのだと教わった」とあるが、その教えはこの芝居でも十分生かされており、言葉が届いていた。
瑛太(モガリ・サマヨウ)の発声も明瞭で、演技にも好感がもてた。ゲネプロをこのサイトで3分だけ見ることができる。
かつて、夢の遊眠社の時代、セリフが聞き取れないことがときどきあった。いまはそんなことはないが、言葉の内実を伝えきれないことはある。ひとつの原因として、テレビや映画と舞台空間とは違うということもありそうだ。舞台では表情はあまり伝わらず、そのかわり演技が重要になる。その点こまつ座は、同じようなテレビ・映画俳優が出ていても栗山民也、鵜山仁などがしっかり演出しているように思う。

わたしはシナリオで芝居を選ぶことが多いが、野田の脚本はいろいろ調べて書かれていることがよくわかる。2つだけ例を挙げる。
「『鵜』は古代より神の鳥でした。出雲神話の国譲りにおいても、女神が「鵜」に姿を変え、海に潜り海底の土を持ち帰り」(p25)というセリフがあった。調べると、たしかに国譲りに「櫛八玉神は、鵜に姿を変え、海の底に潜り、底の赤土(はに)を加えてきて、たくさんの平らな皿を作り」とあった。
また「私、逆八百比丘尼です。と申しますのも、本来、人間の八百比丘尼は、人魚の肉を食べて不死になりました。その恩返しです」というセリフがあった(p33)ウィキペディアでみると、たしかに八百比丘尼(やおびくに)は、人魚など特別なものを食べたことで八百年生きる少女の話(不知火や仙崎のお静伝説)を取り込んだ全国に分布する伝説の人物のことだそうだ。また軍用イルカも実戦で利用されたそうだ。

☆池袋西口に三兵酒店という有名な立飲み屋があり、帰りに立ち寄った。なぜかフィギュアスケートの安藤美姫の写真が何枚も壁に貼られている店だ。
たぶん半年ぶりである。かつて池袋経由で埼玉方面に行く用事が月に1度あったのだが、用事そのものがなくなってしまったからである。
前橋育英高校の卒業生がいて、ちょうど2013年の高校野球の夏の時期だった。初出場の前橋育英高校があれよあれよという間に優勝してしまった。地区予選から一度も負けたことがないのだから大したものだという話をした覚えがある。こんなふうに酔うと仲良くなれるような狭いスペースの居酒屋である。
西口にはもう1軒、桝本屋酒店という有名な角打がある。こちらは三兵酒店と異なり20-30人は入れる大型店だ。この店には25年くらい前に週1,2回通っていた。あるとき隣で飲んでいた人に誘われて東口の居酒屋までいったことがあった。立飲み店でもそんなこともあったのだ。


三兵酒店の店内
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