高松は、村山知義の妻・籌子の生まれ故郷だ。籌子は岡内勧弘堂の娘で、17歳まで大きな屋敷で暮らした。高松に行く機会があり、その足跡を訪ねた。 . . . 本文を読む
「検閲」に関する展示でも珍しいのに「検閲官の生涯」を扱った展示を千代田図書館で見た。そこで一人の検閲官と意外な人物との関わりを発見した。左翼演劇で何度も投獄された演劇人・村山知義である。 . . . 本文を読む
第一次世界大戦終結から4年、ヴァイマル憲法制定から3年後の1922年、21歳の村山知義はベルリンに1年間滞在した。美術の世界ではキルヒナーやエミール・ノルデらの表現主義が台頭し始めた時期である。 . . . 本文を読む
国際子ども図書館の展示会「童画の世界」で、村山知義の作品をみた。村山は建築家、画家、戯曲家、作家、演出者など多くの顔をもつが19歳から76歳まで絵本の絵を描き続けたので、一番長く続けた職業という意味では、童画家が本業だったともいえる。 . . . 本文を読む
1945年3月東京大空襲の直前、執行猶予中の村山知義は京城に渡り9か月間滞在した。春香伝の朝鮮語のオペラや映画づくりの準備、満映での舞踊映画制作の準備をエネルギッシュに進め、敗戦のラジオ放送に思わず「万才!」と叫んだ。朝鮮での生活を気に入ったが、「これが最後の帰還船」と言われ45年12月日本に戻った。 . . . 本文を読む
早稲田の演劇博物館で、俳優座の千田是也をキーパースンにした1920・30年代のアジプロ演劇の展覧会をみた。千田は村山知義の3歳年下、村山に5年遅れて1927年にベルリンに渡ったが、村山への言及がほとんどなかった。そこで村山と千田との接点を探った。 . . . 本文を読む
村山知義『現在の芸術と未来の芸術』(1924年11月長隆舎書店の復刻版)を読んだ。1923年はじめにドイツから帰国した村山は、7月マヴォ結成、浅草の伝法院で第一回展覧会開催、翌年7月機関誌「Mavo」創刊とめざましい活動をしている。その理論書が本書である。 . . . 本文を読む
村山知義(1901年1月18日 ― 1977年3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家というマルチ人間。ドイツ留学時代の村山の足跡が掲載されている『言語都市・ベルリン 1861~1945』(和田博文ほか 藤原書店 2006年10月)を読んだ。 . . . 本文を読む