中央線四ツ谷駅の四ッ谷口をおり、左手をみると、白い鉄柵の向こうに白い壁、緑の屋根の宮殿風の建物がみえる。わたくしがこの建物を初めて認識したのは、職場が市谷だったので、仕事で赤坂方面に向かったときのことだった。もう40年以上前のことだ。当時は庶民の見学などできない場所だったが、昨年4月から予約なしでも見学できるようになった。
小雨の降る朝、今日なら空いているかと四ッ谷に向かった。
10時開館で20分ほど前に着いたがすでに団体が20人、個人が30人ほど並んでいた。団体客は高齢者が多かったが、個人は意外に30代、40代の若い勤労世代の人が多かった。どういう人なのだろう。出張者だろうか。
ここはもとは紀州徳川家の中屋敷、明治になり大正天皇の東宮御所となった。工部大学校の1期生・片山東熊が設計し、1909(明治42)年に竣工した。片山はコンドルの弟子であり、辰野金吾の学友だ。同じ用地の南のほうはいまも東宮御所や皇族の屋敷がある赤坂御用地に続く。1974年に迎賓館となったが、館内DVDによるとテープカットしたのが田中角栄、初の国賓はフォード大統領だった。
幅125m、奥行89mの巨大な建物だが、階数は地上2階、地下1階だから大したことがないという気がするが、高さ23mというのだから民間マンションなら6-7階建てに相当する。
建設に当たり、ベルサイユ、ルーブル、バッキンガムなどを参考にしたという。
見学は1階からだが、1階は廊下と2階への階段くらいしか見られなかったので省略する。ガラス越しに玄関ホールがみえたが、入口なのでこのくらいは見学させてほしいものだ。なお館内は撮影も携帯も、飲食も禁止だ。仕方がないので絵葉書を買った(この記事の3点の室内写真は絵葉書を利用した)。
2階には、順路順で花鳥の間、彩鸞の間、羽衣の間の3室と階段周囲の廊下があった。このほか朝日の間があるが残念ながら2019年3月まで工事中で見学できない。
一番初めに入った花鳥の間は晩餐会や円卓会議に利用される部屋で、最大130人の席を配置できる。1986年、中曽根首相のときのG7サミットはこの部屋で行われた。
晩餐会というと皇居のイメージがあるが、宮内庁と内閣府でいったいどのように分担しているのか説明員の方に聞いてみた。国賓の晩餐会は皇居で行い、公賓の晩餐会は原則として首相官邸で行うそうだ。客の答礼のための食事会を行うのが迎賓館という分担だそうだ。国賓とは、スペイン国王、ヨルダン国王など元首のことで、公賓はメイ首相、オバマ大統領など行政のトップのことだ。花鳥の名のとおり、天井には36枚の花や鳥の絵、壁には30枚の花や鳥を焼き付けた七宝の皿が飾られていた。たしかにこの七宝は見事で、見る価値があった。下絵を渡辺省亭が描き浪川惣介が無線七宝という技法で焼いた。欄間には「狩り」をテーマとするゴブラン織風の綴れ織が貼ってあるが、3年以上の時間をかけて手織りで織ったそうだ。細かいところでは、ドアの把手に金の飾りが付いているが、人物群像が彫られている。天井からは1基1250kgのシャンデリアが下がっている。改修のときにスピーカーを内蔵させ、声が通りやすくしたそうだ。
天井画のなかには狩りの獲物となった鹿などの動物の絵も描かれていた。ジビエ料理と説明していたが、以前ベルディの歌劇「ドン・カルロ」で逆さ吊りにした異教徒を眺めながら肉を食べワインを飲むスペイン国王一家をみたことがある。あまり趣味のよいものではない。
彩鸞の間は調印式や国賓・公賓のテレビインタビューに使われている。「鸞」(らん)という字は難しいが、考えてみると親鸞の「鸞」の字だ。中国の想像上の鳥、霊鳥という意味だそうだ。この部屋のマントルピースに金の鸞の像があった。見た目は宇治の鳳凰堂の鳳凰に見えた。説明員に聞くと、鳳凰も霊鳥で、鳳凰が親、鸞が子どもなので、鳳凰は王冠をかぶっており、鸞はかぶっていないそうだ。東宮(皇太子)だからだ。ただし、建物屋外の鳥は王冠をかぶっているそうで、いずれにせよ霊鳥としか呼んでいないそうだ。ちょっとややこしい。この部屋はナポレオン1世の帝政時代に流行したアンビール様式を取り入れている。軍国なので、鎧、兜、剣などの立体模様が壁にある。天井は遠征時のテントに見立てて楕円形になっている。子どものころから軍隊教育などやってよいのかとも思うが、日露戦争終結の2年後というとそういう時代だったのだろう。
羽衣の間は最も大きな部屋で、レセプションや日米首脳会談などの会議場として使われている。また晩餐会のときに招待客へ食前酒や食後酒を提供する場でもある。もともと舞踏室としてつくられたため、正面中二階にはオーケストラボックスが3室ある。
3基のシャンデリアは3m、800kg、電球の数84と大きなもので舞踏室らしく、仮面や琵琶、鼓、ヴァイオリンなど楽器の装飾が7000個もぶら下がっている。壁面レリーフにも楽器や楽譜が象られている。
天井には謡曲「羽衣」をモチーフにした絵がある。これが「羽衣の間」の由来だ。ただし天女が舞っているわけではない。「虚空に花ふり音楽聞こえ霊香四方に薫ず」の一節を絵にしたものだそうだ。舞踏会の客の姿にも重ねて描かれた。
正面に屏風が立っていた。ただの屏風ではない。齊田梅亭の金とプラチナの截金(きりがね)屏風「霞文」である。截金はそれまでは仏具に使われていたが、齋田が工芸に発展させ、この作品は1974年のものだが、齋田は81年に初めて截金の分野で人間国宝になり、その年に81歳で亡くなった
その他、2階では階段周りのホールと階段を見下ろせる。
天井には寺田春弌(しゅんいち)の7羽の鳩の絵「第七天国」がある。
階段の南北の天井には朝日と夕日の絵がある。階段を上るときには朝日、降りるときには夕日が目に入る。絵の前の梁に、真ん中に菊の紋章があり王冠や珠やアカンサスまたは桐の葉を組み合わせた置物が付いている。わたしにはまるで菊の紋章のあるチョッキを着て、王冠をかぶったふくろうのように見えた。もちろん意味があるのだろう。残念ながらこの点は説明員に聞き損ねた。
工事中の朝日の間の入口の左右に小磯良平の「音楽」「美術」という2枚の絵がある。「音楽」はチェロ、コントラバス、チェンバロなどと若い男女、「美術」は女性をデッサンする若い男女が描かれている。小磯は神戸生まれなので、兵庫県立美術館に小磯良平記念室がある。これで国や皇室ご用達の画家であったことがわかった。
大いに気になったのは、館内に安倍晋三の写真が多いことだ。2014年のオバマ訪日時、15年のベトナム共産党書記長、16年のヨルダン国王やミャンマーのスー・チー最高顧問、今年17年のスペイン国王やイギリスのメイ首相などと一緒の写真が11枚もあった。皇室は09年のウィーンフィル五重奏団訪日時、16年のシンガポール大統領など数枚、その他の政治家は今年3月のサウジアラビア国王と岸田外相1枚、1979年の最初の東京サミットの大平首相1枚だけだった。まるで育鵬社の中学公民教科書をみるようだった(安倍の写真が15枚登場 平均14pに1枚)。最近の写真を飾りたいのだろうから、通算してもう6年もやっている首相の写真が多くなるのは仕方ない。しかしもう少し謙虚になれないものか。(あるいは外務省か内閣府の担当者が公務員得意の「忖度」をし過ぎているのからかもしれない)。また安倍首相になってから、首相官邸でなく迎賓館での晩餐会が増えたそうだ。この建物は内閣府の管轄だから、自分の屋敷くらいに考えているのかもしれない。
この建物には装飾用の金もたくさん使われているが、いわゆる「金ピカ」という感じではない。しかし旧岩崎邸や駒場の前田侯爵邸のように使いこまれた感じでもない。しいていえば、庭園美術館になっている朝香宮邸や皇居の三の丸尚蔵館の雰囲気に似ている。基調は白い壁、赤い絨毯で、壁のレリーフ、ドア・ノブ、廊下の蝋燭立て、椅子、戸棚、テーブル、椅子などの什器など、細部まで目配りが行き届いていて質が高い。いまでは人造ではない大理石を目にする機会は少ないが、床や柱の大理石にも白、黒、赤、うす茶など何種類もあることを知った。
工事中でみられなかった朝日の間やイスラム風のデザインだという東の間、そしてここには宿泊施設もあるそうなので、個人用の部屋も何か機会があればみて、前田邸と比較してみたいものだ。抽選による見学だが、和風別館もある。
このあと屋外を散策した。建物だけで左右120mもあるから1周するのも大変だし、全容をながめるのも大変だ。屋根や柱、壁面に付いている装飾や彫り物、霊鳥、扉の鉄格子のデザイン、電球の傘など見るべきものが多いが、残念ながらとても回りきれなかった。
11万8000平方m(東京ドームの2.5倍)の庭には180種2万本の樹木があるという。前庭には日本の庭らしくクロマツの木が142本もある。庭園にもまだまだ見るべきものがありそうだ。
玄関では儀仗兵の出迎えがあるそうだ。皇宮警察ではないはずなので、調べると陸上自衛隊第302保安警務中隊が栄誉礼を行っている。安倍、自衛隊、皇室の三位一体の「おもてなし」もあるようだ。
こういうふうに安倍や皇室の影もたしかに濃い館ではある。もともとが東宮御所として建てられたので、菊の紋章は室内だけでなく建物の外部にもたくさん付いている。そのうえ迎賓館の西側には学習院初等科が所在する。しかし、工芸品や建物、内装には見るべきものが多い「宮殿」であることは確かである。
入場料を1000円支払う価値はあった。また200円の音声ガイドも価値があった。ガイドの音声を聞いているとゆっくり落ち着いて見られないので、一度回った後、入口に引き返そうとすると止められた。逆行はできないが、一度退場して入口から入ることはできるそうだ。なお「政府インターネットテレビ「迎賓館赤坂離宮」」でだいたいの雰囲気はわかる。わたくしはこの動画を事務室2階の視聴室で2回観てから入場した。
またボランティア説明員の方もたいていのことに親切に答えてくれて、レベルが高いように思えた。もしかすると元外務省や宮内庁のOBのような「やんごとない方」なのかもしれない。
迎賓館赤坂離宮
住所:東京都港区元赤坂2-1-1
電話:03-5728-7788
休館日:水曜日、年末年始
開館時間 10時~17時(入館受付は16時まで)
入館料:大人 1000円、中高生500円、小学生無料(団体は少し安くなる)
隣は学習院初等科
☆安倍の写真といえば、今年は教育出版小学5年道徳の教科書に掲載されている「下町ボブスレー」が話題になった。わたくしは文脈に関係なく唐突に出てくるので驚いたが、じつは安倍のポーズはふつうのピースサインでなく、手の甲を前に向けた「裏ピースサイン」をしており、欧米では「ファックユー」に近いセクハラの意味を持つポーズなのだそうだ。(写真はこのサイトで見られる)
小雨の降る朝、今日なら空いているかと四ッ谷に向かった。
10時開館で20分ほど前に着いたがすでに団体が20人、個人が30人ほど並んでいた。団体客は高齢者が多かったが、個人は意外に30代、40代の若い勤労世代の人が多かった。どういう人なのだろう。出張者だろうか。
ここはもとは紀州徳川家の中屋敷、明治になり大正天皇の東宮御所となった。工部大学校の1期生・片山東熊が設計し、1909(明治42)年に竣工した。片山はコンドルの弟子であり、辰野金吾の学友だ。同じ用地の南のほうはいまも東宮御所や皇族の屋敷がある赤坂御用地に続く。1974年に迎賓館となったが、館内DVDによるとテープカットしたのが田中角栄、初の国賓はフォード大統領だった。
幅125m、奥行89mの巨大な建物だが、階数は地上2階、地下1階だから大したことがないという気がするが、高さ23mというのだから民間マンションなら6-7階建てに相当する。
建設に当たり、ベルサイユ、ルーブル、バッキンガムなどを参考にしたという。
見学は1階からだが、1階は廊下と2階への階段くらいしか見られなかったので省略する。ガラス越しに玄関ホールがみえたが、入口なのでこのくらいは見学させてほしいものだ。なお館内は撮影も携帯も、飲食も禁止だ。仕方がないので絵葉書を買った(この記事の3点の室内写真は絵葉書を利用した)。
2階には、順路順で花鳥の間、彩鸞の間、羽衣の間の3室と階段周囲の廊下があった。このほか朝日の間があるが残念ながら2019年3月まで工事中で見学できない。
一番初めに入った花鳥の間は晩餐会や円卓会議に利用される部屋で、最大130人の席を配置できる。1986年、中曽根首相のときのG7サミットはこの部屋で行われた。
晩餐会というと皇居のイメージがあるが、宮内庁と内閣府でいったいどのように分担しているのか説明員の方に聞いてみた。国賓の晩餐会は皇居で行い、公賓の晩餐会は原則として首相官邸で行うそうだ。客の答礼のための食事会を行うのが迎賓館という分担だそうだ。国賓とは、スペイン国王、ヨルダン国王など元首のことで、公賓はメイ首相、オバマ大統領など行政のトップのことだ。花鳥の名のとおり、天井には36枚の花や鳥の絵、壁には30枚の花や鳥を焼き付けた七宝の皿が飾られていた。たしかにこの七宝は見事で、見る価値があった。下絵を渡辺省亭が描き浪川惣介が無線七宝という技法で焼いた。欄間には「狩り」をテーマとするゴブラン織風の綴れ織が貼ってあるが、3年以上の時間をかけて手織りで織ったそうだ。細かいところでは、ドアの把手に金の飾りが付いているが、人物群像が彫られている。天井からは1基1250kgのシャンデリアが下がっている。改修のときにスピーカーを内蔵させ、声が通りやすくしたそうだ。
天井画のなかには狩りの獲物となった鹿などの動物の絵も描かれていた。ジビエ料理と説明していたが、以前ベルディの歌劇「ドン・カルロ」で逆さ吊りにした異教徒を眺めながら肉を食べワインを飲むスペイン国王一家をみたことがある。あまり趣味のよいものではない。
彩鸞の間は調印式や国賓・公賓のテレビインタビューに使われている。「鸞」(らん)という字は難しいが、考えてみると親鸞の「鸞」の字だ。中国の想像上の鳥、霊鳥という意味だそうだ。この部屋のマントルピースに金の鸞の像があった。見た目は宇治の鳳凰堂の鳳凰に見えた。説明員に聞くと、鳳凰も霊鳥で、鳳凰が親、鸞が子どもなので、鳳凰は王冠をかぶっており、鸞はかぶっていないそうだ。東宮(皇太子)だからだ。ただし、建物屋外の鳥は王冠をかぶっているそうで、いずれにせよ霊鳥としか呼んでいないそうだ。ちょっとややこしい。この部屋はナポレオン1世の帝政時代に流行したアンビール様式を取り入れている。軍国なので、鎧、兜、剣などの立体模様が壁にある。天井は遠征時のテントに見立てて楕円形になっている。子どものころから軍隊教育などやってよいのかとも思うが、日露戦争終結の2年後というとそういう時代だったのだろう。
羽衣の間は最も大きな部屋で、レセプションや日米首脳会談などの会議場として使われている。また晩餐会のときに招待客へ食前酒や食後酒を提供する場でもある。もともと舞踏室としてつくられたため、正面中二階にはオーケストラボックスが3室ある。
3基のシャンデリアは3m、800kg、電球の数84と大きなもので舞踏室らしく、仮面や琵琶、鼓、ヴァイオリンなど楽器の装飾が7000個もぶら下がっている。壁面レリーフにも楽器や楽譜が象られている。
天井には謡曲「羽衣」をモチーフにした絵がある。これが「羽衣の間」の由来だ。ただし天女が舞っているわけではない。「虚空に花ふり音楽聞こえ霊香四方に薫ず」の一節を絵にしたものだそうだ。舞踏会の客の姿にも重ねて描かれた。
正面に屏風が立っていた。ただの屏風ではない。齊田梅亭の金とプラチナの截金(きりがね)屏風「霞文」である。截金はそれまでは仏具に使われていたが、齋田が工芸に発展させ、この作品は1974年のものだが、齋田は81年に初めて截金の分野で人間国宝になり、その年に81歳で亡くなった
その他、2階では階段周りのホールと階段を見下ろせる。
天井には寺田春弌(しゅんいち)の7羽の鳩の絵「第七天国」がある。
階段の南北の天井には朝日と夕日の絵がある。階段を上るときには朝日、降りるときには夕日が目に入る。絵の前の梁に、真ん中に菊の紋章があり王冠や珠やアカンサスまたは桐の葉を組み合わせた置物が付いている。わたしにはまるで菊の紋章のあるチョッキを着て、王冠をかぶったふくろうのように見えた。もちろん意味があるのだろう。残念ながらこの点は説明員に聞き損ねた。
工事中の朝日の間の入口の左右に小磯良平の「音楽」「美術」という2枚の絵がある。「音楽」はチェロ、コントラバス、チェンバロなどと若い男女、「美術」は女性をデッサンする若い男女が描かれている。小磯は神戸生まれなので、兵庫県立美術館に小磯良平記念室がある。これで国や皇室ご用達の画家であったことがわかった。
大いに気になったのは、館内に安倍晋三の写真が多いことだ。2014年のオバマ訪日時、15年のベトナム共産党書記長、16年のヨルダン国王やミャンマーのスー・チー最高顧問、今年17年のスペイン国王やイギリスのメイ首相などと一緒の写真が11枚もあった。皇室は09年のウィーンフィル五重奏団訪日時、16年のシンガポール大統領など数枚、その他の政治家は今年3月のサウジアラビア国王と岸田外相1枚、1979年の最初の東京サミットの大平首相1枚だけだった。まるで育鵬社の中学公民教科書をみるようだった(安倍の写真が15枚登場 平均14pに1枚)。最近の写真を飾りたいのだろうから、通算してもう6年もやっている首相の写真が多くなるのは仕方ない。しかしもう少し謙虚になれないものか。(あるいは外務省か内閣府の担当者が公務員得意の「忖度」をし過ぎているのからかもしれない)。また安倍首相になってから、首相官邸でなく迎賓館での晩餐会が増えたそうだ。この建物は内閣府の管轄だから、自分の屋敷くらいに考えているのかもしれない。
この建物には装飾用の金もたくさん使われているが、いわゆる「金ピカ」という感じではない。しかし旧岩崎邸や駒場の前田侯爵邸のように使いこまれた感じでもない。しいていえば、庭園美術館になっている朝香宮邸や皇居の三の丸尚蔵館の雰囲気に似ている。基調は白い壁、赤い絨毯で、壁のレリーフ、ドア・ノブ、廊下の蝋燭立て、椅子、戸棚、テーブル、椅子などの什器など、細部まで目配りが行き届いていて質が高い。いまでは人造ではない大理石を目にする機会は少ないが、床や柱の大理石にも白、黒、赤、うす茶など何種類もあることを知った。
工事中でみられなかった朝日の間やイスラム風のデザインだという東の間、そしてここには宿泊施設もあるそうなので、個人用の部屋も何か機会があればみて、前田邸と比較してみたいものだ。抽選による見学だが、和風別館もある。
このあと屋外を散策した。建物だけで左右120mもあるから1周するのも大変だし、全容をながめるのも大変だ。屋根や柱、壁面に付いている装飾や彫り物、霊鳥、扉の鉄格子のデザイン、電球の傘など見るべきものが多いが、残念ながらとても回りきれなかった。
11万8000平方m(東京ドームの2.5倍)の庭には180種2万本の樹木があるという。前庭には日本の庭らしくクロマツの木が142本もある。庭園にもまだまだ見るべきものがありそうだ。
玄関では儀仗兵の出迎えがあるそうだ。皇宮警察ではないはずなので、調べると陸上自衛隊第302保安警務中隊が栄誉礼を行っている。安倍、自衛隊、皇室の三位一体の「おもてなし」もあるようだ。
こういうふうに安倍や皇室の影もたしかに濃い館ではある。もともとが東宮御所として建てられたので、菊の紋章は室内だけでなく建物の外部にもたくさん付いている。そのうえ迎賓館の西側には学習院初等科が所在する。しかし、工芸品や建物、内装には見るべきものが多い「宮殿」であることは確かである。
入場料を1000円支払う価値はあった。また200円の音声ガイドも価値があった。ガイドの音声を聞いているとゆっくり落ち着いて見られないので、一度回った後、入口に引き返そうとすると止められた。逆行はできないが、一度退場して入口から入ることはできるそうだ。なお「政府インターネットテレビ「迎賓館赤坂離宮」」でだいたいの雰囲気はわかる。わたくしはこの動画を事務室2階の視聴室で2回観てから入場した。
またボランティア説明員の方もたいていのことに親切に答えてくれて、レベルが高いように思えた。もしかすると元外務省や宮内庁のOBのような「やんごとない方」なのかもしれない。
迎賓館赤坂離宮
住所:東京都港区元赤坂2-1-1
電話:03-5728-7788
休館日:水曜日、年末年始
開館時間 10時~17時(入館受付は16時まで)
入館料:大人 1000円、中高生500円、小学生無料(団体は少し安くなる)
隣は学習院初等科
☆安倍の写真といえば、今年は教育出版小学5年道徳の教科書に掲載されている「下町ボブスレー」が話題になった。わたくしは文脈に関係なく唐突に出てくるので驚いたが、じつは安倍のポーズはふつうのピースサインでなく、手の甲を前に向けた「裏ピースサイン」をしており、欧米では「ファックユー」に近いセクハラの意味を持つポーズなのだそうだ。(写真はこのサイトで見られる)