今年も5月の連休に六本木の国立新美術館で第98回国展を観た。
毎年楽しみにしているのは工芸部だが、なぜ楽しみなのかちょっと考えてみた。他の部門、たとえば絵画部でも抽象と具象、具象のなかでもリアルなものとアニメのようなファンタスティックなものがあり、ジャンルの違いはたしかにある。しかし工芸では、漆や陶器やガラスの器などの食器、和服の織や染、木工家具など、しいて共通点を挙げれば暮らしの道具というくらいしかない多様な物品が美術品として展示されている。この豊かさ、多様さを観られることがぜいたくな楽しみに感じるのではないかと考えた。
さて今年の工芸部では、陶芸で印象に残る作品を多く見た。
瀧田史宇「白磁菱彩文大壺」
数十年も前に富本憲吉展をみて以来、わたしはずっと素朴だが品のある白磁が好きだ。阿部眞士「白磁艶消壺」、川野恭和「白磁角鉢」、土屋典康「白磁三足鉢」などいくつか展示されていたが、なかでも白磁に紺色の菱形模様のある瀧田史宇「白磁菱彩文大壺」がオシャレで気に入った。
白磁以外で好きなのは、高橋幸治「雲紋壺」だ。どのようにこんな模様を思いついたのだろうか。同じ傾向でわたしが好きだったのは布川穣「躍動」だった。
高橋幸治「雲紋壺」
照明の効果もあるかもしれないが、魅力のひとつは釉(うわぐすり)のてかりだ。たとえば古口愛子「飴釉鉢」、吉田眞人「志野面取壺」のオレンジ、山下清「黒釉抜紋扁壺」の黒の釉薬のことだ。
前から陶芸の松崎健と漆の松崎融の作品が好きだったが、お2人が兄弟ということをはじめて知った。また陶芸の松崎修は、2人のうちどちらかはわからないが息子さんだそうだ。芸術的天分も古典芸能の家のように家系として遺伝するのだろうか?
谷田部郁子「白鳥の声」
織では、季節のせいもあるのだろうが、緑が基調の作品がさわやかだった。根津美和子「花の雲」、石黒祐子「緑風」、谷田部郁子「白鳥の声」、和宇慶むつみ 花織着物「花群」などだ。そういえば今年の小島秀子「Colosseoへの道」も、深緑の細かく上品な模様の帯だった。
染では小田中耕一「染布2684」の力強さに惹かれた。鋭い歯のような連続パターンがシンプルで強力な作品だった。
今回の工芸部の一大事件は、101歳の柚木沙弥郎さんが1月に亡くなられたことだ。略歴と4点の作品が展示されていた。柚木さんは女子美が長く、87年から4年学長を務めたことは知っていた。略歴に、とくに美術学校では学ばず24歳で大原美術館に就職したが、芹沢銈介の型染カレンダーに感銘を受け1年で退職し、静岡の正雪紺屋に住み込み染色を学ぶ、とあった。しかしそこからが早い。1950年28歳で女子美の専任講師、31歳で国画会会員である。ただしその前があった。柚木の父は洋画家、祖父は南画家、42年に東大美学・美術史科に入学したが43年に学徒動員され敗戦時は大井海軍航空隊にいた、とウィキにある。
展示されていたのは、1983年70代の「型染手文布」、2019年90代の「木」、最晩年の「2023collage1、7」の4点。わたしは最晩年の作品が好きだ。
伊東啓一「既視感の情景24AB」
社会の流れをダイレクトに反映しやすい絵画部にガザの虐殺をテーマにしたものがあるのではないかと思ったが、見落としかもしれないが、わたしには見つけることができなかった。
しかし伊東啓一「既視感の情景24AB」は、手前に血に赤く染まった2人の遺体、その向こうに大勢の死者・行方不明者の顔写真を貼り上に鉄条網のある壁、壁の向こうには赤の墓石群が続いていた。
野元清「ウクライナ」は、破壊されたビル、工場、橋、抱き合う母子、ドローン・爆撃機・戦車などの兵器、プーチンとゼレンスキーの顔、そして両国の国旗という、まことに直截的な表現の絵だった。
茂木桂子「Down wash」
茂木桂子「Down wash」のヘリはドローンでもオスプレイでもないし、わたしには軍用か民生用かもわからない。だがイスラエルによるガザ市民の虐殺が今日も続いているなか、不穏かつ不気味に見えた
一方山門みつき「BIRTHDAY」(国画賞)はテーブルの上に大きなケーキが2つ、パーティ客は人間の子どもだけでなく、ウサギの女の子、白鳥なども来ている。アニメ風の美少女が林のなかに座っている。「購え 購え」という文字が11個も書かれている増田直人「すべてを体験せよ」、これも戦争反対の絵と解釈することもできる。
わたしは、雪が積もる小さな漁港で幼児が1人遊びしている山田美智子「忘れていること」が好きだった。
古川敏郎「春の別れ」(右が女性像)
彫刻部の今年の傾向は人物立像(子ども含む)が多かったことだ。
入り口には、今年も手動で動く神山豊の水生生物シリーズ、今回は巨大なザリガニ「Giant Scissors」だった。観客は自分で回転ハンドルを握れるのでワクワクして操作していた。
わたしが好きだったのは巨大な男女がそっぽを向いている古川敏郎「春の別れ」、ちょっと音楽家のように見えた女性に関心が向き、タイトルの名札を探したがみ作品の周りを一周したが見当たらない。じつは2体1セットで男性のほうの前に名札があった。「別れ」なのでそっぽを向いているのは仕方がない。ただ髪を引かれるように、強い力で2体が引きはがされたように見えた。
もうひとつ、猫がたくさん登場していた。たとえば宮崎みどり「パーティの準備」は、パーティのため紙の輪つなぎをつくっている女の子、ポケットから猫が顔を出している。ジブリのアニメのようだ。藤田英樹「記憶の残像――潜む」にも2匹の猫が登場していた。
石川敦之「群空間Ⅳ」
版画部では、理由は自分でもわからないが、石川敦之「群空間Ⅳ」のすっきりした平面の作品が好きだった。また木村哲也「古里の風景と友人たち」、向こう向きのネコとこちら向きの2匹のネコが海のみえる公園にいる白黒のなつかしい感じの版画も例年どおり好きだった。柴田吉郎「冬の旅〈木曽街道〉」も同じ傾向の作品だ。そして前田政晴「石長比売」ののんびりした姿も見ていて気分が落ち着いた。
またデジタルプリントは今後の可能性を感じさせてくれた。たとえば篠田泰雄「Melancholy 2014A」、本田巧緻「NIGHTMARE QUEST-0124」、太田策司「座標-6」などだ。
写真部では、湖水の水生植物のモノクロ作品・杉谷眞人「ささめき」(奨励賞)、雲に煙る山と森を撮った丸山義雄「古里はるかⅡ」がすばらしい出来映えだった。相澤實の肖像写真「彫塑家山田朝彦氏」の山田氏はどんな方なのかわたしは存じ上げないが、例年とおり「らしさ」がにじみ出ている作品だった。
木村志朗「Night curtain」は2階建てのアパートの6つの窓のうち、2つは照明が点き、3つは不在なのか消灯、残る1つは窓の左半分だけ光がみえ、半分はカーテンが引かれているのか暗い、光のアイディア賞。西森正樹「ぼくの家族」は石垣の上の道を歩く親子と3人の子どもの姿が強く印象に残った。
足立順子「宇宙の音」
今年もトークインに参加できた。5部門の作家各1人に、直接お話をお聞きできるイベントだ。わたしたち観客は、完成した作品だけみて印象や批評・感想を述べるだけだが、作者は、当然のことだが作品を生み出す全プロセスに立ち会っている。そこでこれまでのトークインで、作品をどのように構想したかとか、作り方の技法に関する質問が出たこともあった。
今回、お話を聞いて知ったことが2つある。ひとつは「見えないものを見えるようにする」という作家の意思だ。
版画の足立順子さんの「宇宙の音」、銀(白)の部分はIC基盤で、よくみると数字やアルファベットの文字がたくさん書かれている。ICからシルバーは連想しやすいが、ピンクはどういう発想なのかお聞きした。答えは「好き」だからとのこと、モチーフはデジタルなのに、アナログも好きだそうだ。版画なので、まず彫って水彩ガッシュやポスターカラーで色を乗せるが、彫ったところが埋まってもそれはそれでよいと、気にせず刷るそうだ。お話のなかで、天気図も、目にはみえない気圧を線でつなぎ表し、見えるようにするので好きだとのお話だった。
撮影部・げんたにすすむさんの「INOCHI」、定年後、本格的に撮影を初め、まず公募展に出展し、20年後の80歳までに東京で展示されるレベルになりたいという目標を掲げたそうだ。テーマとしてはまさに「見えないものを見えるようにしたい」。今年は京都・法然院の手水と椿の葉を題材にした「INOCHI」という作品だ。 闇の中で水が流れなにかが生まれ出ようとしているような絵柄だった。
福井在住ということもあり、写真用紙(プリンター用紙)は越前和紙にこだわり、インクジェットで吹き付けて作品にする。
大木夏子「繭の扉」
もうひとつは作家にとって素材選び、あるいは素材探しが一苦労ということだった。
工芸・染の大木夏子さん「繭の扉」の素材は、野生の蚕、ワイルドシルクで織った布だ。野蚕はインドの北部や北西部のいくつかの村でしか取れない。村のなかで、まず蚕のいそうな場所をみつけカゴをもって蚕を捕りにいく家、それを売る家、湯に入れ太めの糸で紡ぐ家、生地を織る家、生地を売る家、という具合に作業は分業体制で、しかも家ごとの家業として受け継がれていくそうだ。だから大量生産はできない。聞くだけで貴重な素材であることがわかる。大木さんはこの布をみて、なにもせず生地の風合いを生かしたいと思ったそうだ。この作品は野蚕の4作目だそうだ。
彫刻・土屋勝さん「Mの遺跡」は高さ60㎝くらい、台座が20㎝角ほどの大きさだが、重さの関係もあり、3つのパートから成る。裸婦の体、上のメビウスの輪を2つに切った部分、そして台座の敷石である。上の2つはイタリアの大理石で、あまり大きな塊はとれないそうだ。そのうえ石に模様があり、水をかけると模様が浮き上がる。それをみて作品の裏にするか表にするか決めるそうだ。やはり素材にかかるウェイトが大きい。
まずグラインダーで石を直方体にし、大きな部分はカッターで切り、さらにノミで細部を仕上げ、最後は砥石やサンドペーパーで磨いてつくるそうだ。
昨年聞いた池田秀俊さん「鳥の歌が聞こえる―ツクヨミ」は木曽ヒノキでこれも高額だとおっしゃていたことを思い出した。撮影部・げんたにさんの越前和紙へのこだわりにも通じる話のようだ。
絵画・村上直美さん「Terme」は抽象画で、まず下地に白やベージュを塗って明るくし、その上に絵具で色を重ねていく。終わりはなく、途中の過程をみせる作品だそうだ。色の重なりという点では、版画の足立さんと発想が似ている。
国展は公募展なので、展示作品の数が多い。わたしはトークインも含め2度会場に行った。それでも時間不足だった。しかし、好きな作品、刺激を受ける作品も多く、大いに満足・満腹した。
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