8月末、池袋の東京芸術劇場プレイハウスでNODA・MAP第25回公演「Q」を観た。この劇団の芝居を観るのは2017年の「足跡姫」以来なので、5年ぶりだ。
開演前、舞台には野戦病院の8つの簡易ベッドが並ぶ。この芝居も7月に出版されたシナリオを読んでから来場した。ト書きには「舞台上には、かつて誰かが寝ていたであろう、あまたの簡素な「無名の寝床(ベッド)」が整然と等間隔に並べられている。
波の音が聞こえ始め、その寝床たちは、岸辺に波打つように前後に動き始める。次第に波音は荒く激しくなっていく」とあった。
シナリオを読んでまず気づいたのは野田の「夢の遊眠社」時代(1976-1992)のシナリオとの類似点だ。「こちらの世界」から「あちらの世界」への時空を超える「抜け道」はいろんな作品に出てきた。たとえば「怪盗乱魔」では「炬燵の下がマンホールになってい」て地下鉄に通じる。「赤穂浪士」では、蝶々の精神だけが誘う抜け道を通りオオミズアオを追ったファーブルが赤穂浪士に出会うなど。この芝居では源氏と平氏の支配地域を分ける高い壁だ。
また、ダジャレというか言葉遊びも健在だ。プレイガールと「祈る少女」(18p 以下ページ数は「Q/フェイクスピア」新潮社、2022)、自撮り棒と地鶏棒(20p)、乳母と(ケータリングの)ウーバー(p14?)など。
さらに「とうとうくれなかったくれない色の恋の文」「昨夜(ゆうべ)のことは紙飛行機。日がな一日飛び回り、何もなかったかのように 夜の黙(しじま)に吸い込まれた」(p12)、「君の唇に僕の唇が重なった時から、ヘルメスの足よりも速く時間が走り出しました。たった五日間の初恋、432000秒の僕たちの恋は、不慮の心中という形で終わりを告げたのです」(p26) などイメージを膨らませ遠くへ飛ばす詩的なセリフは枚挙に暇ない。
そういえば指輪シリーズをモチーフにした「白夜の女騎士」(1986)など三部作に登場したコビト族も登場し、なつかしかった。
パンフには6p立ての「劇作50年タイムカプセル ノダヒデキ」というポスター(またはチラシ)写真一覧まで付いている。
しかし遊眠社解散から30年たち、もちろん違う点もある。時間や空間を超えるだけでなく、この芝居では同じ人物が、源の愁里愛(じゅりえ 広瀬すず)、「それからの愁里愛」(松たか子)、「愁里愛の面影」(広瀬すず)と時間差のある3人の登場人物として現れ、互いに会話したり、スローモーションで動いたり、一人がフリーズしているあいだに演技したり、ときにはフリーズしている間に役者が入れ替わったりしていた。こんなに複雑な野田の芝居を観たのはわたしは初めてだった。愁里愛は「予告編」、それからの愁里愛は「本編」と呼ばれ、本編は「あらかじめ決められた未来」、つまりン・ジャジャジャジャーンの運命だ。運命を超えることはできるのか? 「超えることはできた。けれども、もうひとつの運命に巻き込まれただけ」「戦争」(p80 1幕のラストのセリフ)
NODA・MAP時代に入ってからだが、芝居のテーマそのものが言葉遊びの作品もあった。「killと「着る」「生きる」を掛け合わせた「キル」(94)、oilと老いるの「オイル」(2003)。この芝居はロミオとジュリエットを下敷きにしているので、キャピュレットが源氏、モンタギューが平家、そして平家は「欲を成し財を成し名を成すぞ!」をスローガンに「平家、平家の名を拾え、拾え拾えの拾イズム」を唱える。一方源氏は「名を捨テロリスト」として、集団同士で対立している。
この関連で、「名を捨テロリストたちは、名前を捨てる代わりに、「匿名」という名前を手に入れる」「匿名を使えば背負う罪なし。嫌いな奴をターゲットに、ない事ない事書き放題、それが匿名」「自分が言われたくないこコトバをすべて他人に書き送れ。弱者ならではの必須アイテムそれが匿名!」「そしてただ一言、義仲さまのことだけを『いいね!』と呟くの。いいね。いいね」(p33)。この部分は秀逸だと思った。SNS利用の現代のヘイトはこのように生まれる。もともと野田は現代風俗に敏感だった。
この芝居には大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も引用され、頼朝は妹・愁里愛に「北条義時と結婚しろ」と迫る(ただし愁里愛は「その男と結婚するくらいなら、瑯壬生のお墓と暮らします」と聞く気はないのだが(p88-89))。「三宿の女」という言葉も登場した。
また、名前に関し野田は有名人と無名人という対比を昔から使っていた(「2万7千光年の旅」(77))。「Q」では「敵の名がつくものは100%悪人、そして味方の名がつく以上悪人はゼロ」「100対0,それが戦争」(p31)という説が示される。
愁里愛に「あなたの名前を捨ててください。名前を捨てて代わりに私のすべてを手に入れて」と懇願され(p38)、恋に陥った瑯壬生(ろうみお)は承知するが、原作どおり2人は心中のように死亡する。
そこで2人の親は、黄金の像を町に建て「永遠に戦をやめよう」と和平合意に達した(ようにみえたのだが・・・)(p74)
1幕の最後は、爆撃の音で幕を閉じる(p80)。
2幕は、「瑯壬生は世間では死んだことになっているから外出してはいけない」と言われ、思わず、名を捨てて一兵卒の志願兵、「無名戦士」になり戦うと宣言し戦場に向かう。しかし名をなくしたため、戦争が終わったあと「恩赦」の名簿に名前が登載されず帰国できなくなる。「無名戦士」の墓に葬られることになる。
ほかに、もうひとつ面白かったところを紹介する。原作では、ティボルトが大公の親戚でロミオの友人・マーキューシオを殺し、ロミオがティボルトを刺し殺す。それをなぞり源義仲が瑯壬生の友人・平の白金(しろがね)を殺したので、瑯壬生が義仲を刺し殺す。
瑯壬生は「すっとばかり刀の切っ先が入っていった。兎でも殺すようにあまりにもすいっと、その感触が、まだこの手に」と独り言をいう。
愁里愛になぜ殺したのか問われ「力を抜く、というト書きが、刀を抜く、に見えてしまった。」と答える。「力」と「刀」の読み違い。言葉遊びが、芝居のなかでは殺人事件になる例である。
「Q」全体のあらすじはこのサイトの後半で紹介されている。
戦争場面は爆撃や砲弾のサウンドとチャンバラで表現される。ウクライナの戦争が半年を越え長期戦になりつつある現在、野戦病院に並ぶ簡易ベッドなどと合わせて暗くリアルな印象を舞台に与えた。
逆に演出で、2幕後半「すべりや(シベリア)」抑留のあたりから冗長になった気がした。全体がスピーディな展開で、役者がいつも走り回っているような舞台だったのでなおそう感じた。ただ初演と演出を変えたと書かれているので、何か意図があったのかもしれない。
演出では、その他、6ケタの電光デジタル数字が美しいというか、なつかしかった。432000秒を示す小道具だと思う。昔見た宮島達男のLEDデジタルカウンターの作品を思い出した。
また、野戦病院の移動ベッドにはストッパーがついている。松たか子だけが移動させるときにストッパーを止めたり外したりしていた。松が運命のスイッチを切り替える操作者ということを示していたのだろうか。地鶏棒で頭を殴り気絶させ、運命を止めるのも主として松の役割だったはずだ。
シナリオではわからないこととして、服部基の照明や堀尾幸男の美術などがある。たとえば2人の往復書簡の象徴、青空を飛ぶ白い紙飛行機をアンサンブルの1人が頭上に伸びる棒を使い動かしたり、レースのカーテンのような白く巨大な布が効果的に使われていた。
そういえば衣装の日比野こずえは遊眠社時代から一貫して続けるスタッフだ。かつての音楽・高都幸男は今回はクイーンのアルバムのみだったからか、いなかったのが残念だ。
音楽はクイーンの「オペラ座の夜」(A NIGHT AT THE OPERA)の公式許可を取り全面的に使われていた。「Q]というタイトル自体、クイーンのQだそうだ。「Love Of My Life」「You're My Best Friend」「The Prophets Song」などが、ピッタリの台詞のところで効果的に使われていた。
わたしは「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー2018)をレンタルビデオで一度見ただけなのでとくにいうべきことはない。わたしが一番好きだったのは「God save the Queen」だった。たんによく知っている曲というだけの理由かもしれない。べつに9月8日にエリザベス女王が96歳で亡くなったからというわけではない。そういえば女王が王に変わったので、タイトルも「God save the King」に変わるそうだ。
わたしの席は2階右側最前列だった。この場所では役者の表情はほとんど見えない。両隣の人はオペラグラス持参だったが、そうすべきだったと後悔した。名前が付いている役者は男優6人、女優4人。羽野晶紀(源の生母/尼マザーッテルサなど3役)、橋本さとし(源義仲/法皇など4役)など、それぞれ個性を発揮しいい演技をしていた。
広瀬すずは、松たか子と声というか、発声が似ていて少し損をしていた。竹中直人(平清盛/平の凡太郎)は、たしかに怪演だったが、わたしの席が2階のせいもあり、声の通りにやや難があり、この人は映画やテレビ向きの俳優ではないか、と思った。その他、役者の名前がわからないのだが、富山の薬売り役に注目した。
以前、野田秀樹の演技には少し難があるので、劇作と演出に専念したほうがよいと書いたこともあった。しかし60代になってもNODA・MAPの作品に欠かせない役者に成長した。実際になっているのだから、俳優としても立派なものだ。
今回、なんといってもピカ一だったのは松たか子だった。キビキビよく動いていたし、何よりも堂々としていた。カーテンコールは、前後2列の交代も含めると8回あった。松が座長役を務めていたが、本当に堂々としていた。わたしも惜しみなく拍手を送り続けた。
客席は平日昼なのに満席、わたしの近くは、40年前の遊眠社ファンのような男女が多かった。
☆終演後、久しぶりに北口の三兵酒店に入った。飲んだものは1級酒(たしかいまはそんなクラス分けはないはず)常温と焼酎お湯割り、食べたものはゴーヤチャンプルーと100円のピーナツだ。予想以上にゴーヤチャンプルーのボリュームがたっぷりだった。またピーナツも普通の店は小さい袋に入った商品を渡すだけだが、この店は小皿に入れて出してくれる。これも量が多かった。そういう点が、この店が長続きしている理由のひとつかもしれない。
店内にサイン入りの石原さとみと広瀬すずのポスターが貼ってあった。いま見てきたばかりなので驚いたが、ちゃんと「サインはニセモノです」との注意書きが添えられていた。「愛嬌」である。以前からフィギュアの安藤美姫の写真がたくさんあるのは知っていたが、女優のポスターはいつごろからあったのだろうか。
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