3月弥生の月に入り、今年も卒業式の季節が巡ってきた。昨年2月から3月にかけ都庁前は緊迫していた。2月1日、突如トレーナー着用の件で根津公子さんが事情聴取され、卒業式前の処分発令が危惧された。3月11日以降「処分するな人事部行動」が連日16時半から実行された。都庁名物人間バリケードが行く手を防ぎ、ときには支援者のいるエレベータ前だけ消灯し、闇のなかで抗議を続けたこともあった。
3月4日(水)夕刻、雨の都庁第二庁舎前で、河原井さん根津さんらの都庁前アンサンブルが開催された。いつもは「河原井さん根津さんらの君が代解雇をさせない会」の単独行動だが、この日は都障労組、多摩教組、町田教組、新宿教組、墨田教組、アイム89、都学校事務職員労働組合など18労組が呼びかけ団体に加わった。また大分、大阪、長野、茨城、群馬など全国各地から支援者が集まり、教育基本法改悪反対で市民や教組が集まった2006年12月の国会前を髣髴とさせた。
雨とはいっても第二庁舎前広場には屋根があり、昨年12月末の都庁前アクションのときのような足元から凍える底冷えや風はなかったので、それほど問題はなかった。ビデオ撮影用の大型照明で「君が代」処分にNo!3.4都庁前アンサンブル」の横断幕が鮮やかに浮かび上がる。またビラ配りのときは、ガードマンに「敷地内では撒かないでください」といわれるが、アピールする人は通路で話しているものの参加者は広場に並んでいてもとくに問題はなかったので、少しは都教委も配慮してくれたのかもしれない。
わたくしが参加したのは6時40分ごろだったので根津さん、河原井さんのアピール以外では、都障労組と大阪の方の報告しか聞いていない。この日は17時に集合し、まず都教委に要請書を手渡したそうだ。
「解雇をさせない会」が都教委に提出した要請書の一部を転載する。
「06年度に西東京市で、1年目の25歳の女性教員がうつ病になった末に自ら命を断ったそうですが、「市教委幹部から研修で『頑張りが足りないと3月31日で分限免職』と言われていた」と、公務災害申請理由書に書かれているということです。
新任教員を育てるのが校長の仕事であろうし、そうした学校を援助するのが教育委員会の仕事であるはずです。それを懲戒・分限の裁量権のみをふりかざして教員を退職に追い込んでいく体制。教育委員会のあり方そのものに問題があると言わざるを得ません。上意下達・上から目線で教育現場を見ている限り教育がよくなりはしません。子どもが生き生きとしていくわけがありません。
(略)この数年、都教委の行ってきたことは、残念ながらこの逆のことばかりです。主幹・主任制の導入により、無責任な、自己保身ばかりを考える管理職が増大し、マニュアルばかりを頼りにする若い先生が増えてきました。そして、「君が代」斉唱時の不起立者監視に職員を派遣したり、自己申告書の未提出を異動の対象にしたりという思想チェックで、ベテランの教員は萎縮し、学校を窒息させています」(ここまで引用)
要請の本文は下記のとおりである。
1「君が代」で分限免職、懲戒免職、そして、停職処分をしないこと、
2「10・23」通達を撤回すること、
3 都教委は校長に対し、職務命令発出を求める「指導・助言」をしないこと
●河原井純子さんのアピール
今日、青年たちと味噌の仕込みをした。数か月したら天地返しをし、この秋、みそ田楽やみそクッキーをつくりたい。明日、八王子東では「3年生を送る会」が行われる。
10.23通達や日の丸君が代強制は改憲に直結することを訴え全国行脚した。一人ひとりが授業や日常生活や地域のなかで声を上げ、運動を日常化、具現化することが大切だ。おかしいことはおかしいと声をあげよう。わたしは37年間それを大切にしてきた。がんばらない、あきらめない、楽しみたい、つながりたい。共に歩いていこう。
●根津公子さんのアピール
教員のあいだで、10.23通達を過去のものとしていないだろうか。まず現在の問題であることを確認したい。2004年に立川二中に強制異動させられたとき、子どもたちの日の丸君が代への考え方が変わったことを実感した。生徒が「校長や教育委員会など偉い人に従うのは当たり前というようになった。教員が黙っているから、少国民がつくられた。「教え子を戦場に送るな」と言いながら子どもを戦場に送っている現実を考えるべきだ。
しかしいまはまだものを言える。ものを言えば必ず伝わる。今日ここを通り過ぎる人、申し訳なさそうに顔を伏せて通り過ぎる人にも何らかの形で響いていく。
わたしたちが世論をつくるつもりでやっていきたい。今日を都教委抗議のスタートの日にして、これからの25日間をいっしょにやっていこう。
☆今後、都庁第二庁舎前では、13日(金)~24日(火)まで毎日17時からチラシまきと情宣を行い、処分を決める教育委員会定例会開催前日の25日(水)にはアンサンブル2を17時―19時、定例会当日26日(木)には朝8時から情宣を行う予定になっている。今年も3月4日の都庁前集会を皮切りに19、24日の卒業式および27日の処分発令日まで、熱い闘いが始まった。
3月4日(水)夕刻、雨の都庁第二庁舎前で、河原井さん根津さんらの都庁前アンサンブルが開催された。いつもは「河原井さん根津さんらの君が代解雇をさせない会」の単独行動だが、この日は都障労組、多摩教組、町田教組、新宿教組、墨田教組、アイム89、都学校事務職員労働組合など18労組が呼びかけ団体に加わった。また大分、大阪、長野、茨城、群馬など全国各地から支援者が集まり、教育基本法改悪反対で市民や教組が集まった2006年12月の国会前を髣髴とさせた。
雨とはいっても第二庁舎前広場には屋根があり、昨年12月末の都庁前アクションのときのような足元から凍える底冷えや風はなかったので、それほど問題はなかった。ビデオ撮影用の大型照明で「君が代」処分にNo!3.4都庁前アンサンブル」の横断幕が鮮やかに浮かび上がる。またビラ配りのときは、ガードマンに「敷地内では撒かないでください」といわれるが、アピールする人は通路で話しているものの参加者は広場に並んでいてもとくに問題はなかったので、少しは都教委も配慮してくれたのかもしれない。
わたくしが参加したのは6時40分ごろだったので根津さん、河原井さんのアピール以外では、都障労組と大阪の方の報告しか聞いていない。この日は17時に集合し、まず都教委に要請書を手渡したそうだ。
「解雇をさせない会」が都教委に提出した要請書の一部を転載する。
「06年度に西東京市で、1年目の25歳の女性教員がうつ病になった末に自ら命を断ったそうですが、「市教委幹部から研修で『頑張りが足りないと3月31日で分限免職』と言われていた」と、公務災害申請理由書に書かれているということです。
新任教員を育てるのが校長の仕事であろうし、そうした学校を援助するのが教育委員会の仕事であるはずです。それを懲戒・分限の裁量権のみをふりかざして教員を退職に追い込んでいく体制。教育委員会のあり方そのものに問題があると言わざるを得ません。上意下達・上から目線で教育現場を見ている限り教育がよくなりはしません。子どもが生き生きとしていくわけがありません。
(略)この数年、都教委の行ってきたことは、残念ながらこの逆のことばかりです。主幹・主任制の導入により、無責任な、自己保身ばかりを考える管理職が増大し、マニュアルばかりを頼りにする若い先生が増えてきました。そして、「君が代」斉唱時の不起立者監視に職員を派遣したり、自己申告書の未提出を異動の対象にしたりという思想チェックで、ベテランの教員は萎縮し、学校を窒息させています」(ここまで引用)
要請の本文は下記のとおりである。
1「君が代」で分限免職、懲戒免職、そして、停職処分をしないこと、
2「10・23」通達を撤回すること、
3 都教委は校長に対し、職務命令発出を求める「指導・助言」をしないこと
●河原井純子さんのアピール
今日、青年たちと味噌の仕込みをした。数か月したら天地返しをし、この秋、みそ田楽やみそクッキーをつくりたい。明日、八王子東では「3年生を送る会」が行われる。
10.23通達や日の丸君が代強制は改憲に直結することを訴え全国行脚した。一人ひとりが授業や日常生活や地域のなかで声を上げ、運動を日常化、具現化することが大切だ。おかしいことはおかしいと声をあげよう。わたしは37年間それを大切にしてきた。がんばらない、あきらめない、楽しみたい、つながりたい。共に歩いていこう。
●根津公子さんのアピール
教員のあいだで、10.23通達を過去のものとしていないだろうか。まず現在の問題であることを確認したい。2004年に立川二中に強制異動させられたとき、子どもたちの日の丸君が代への考え方が変わったことを実感した。生徒が「校長や教育委員会など偉い人に従うのは当たり前というようになった。教員が黙っているから、少国民がつくられた。「教え子を戦場に送るな」と言いながら子どもを戦場に送っている現実を考えるべきだ。
しかしいまはまだものを言える。ものを言えば必ず伝わる。今日ここを通り過ぎる人、申し訳なさそうに顔を伏せて通り過ぎる人にも何らかの形で響いていく。
わたしたちが世論をつくるつもりでやっていきたい。今日を都教委抗議のスタートの日にして、これからの25日間をいっしょにやっていこう。
☆今後、都庁第二庁舎前では、13日(金)~24日(火)まで毎日17時からチラシまきと情宣を行い、処分を決める教育委員会定例会開催前日の25日(水)にはアンサンブル2を17時―19時、定例会当日26日(木)には朝8時から情宣を行う予定になっている。今年も3月4日の都庁前集会を皮切りに19、24日の卒業式および27日の処分発令日まで、熱い闘いが始まった。