国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

旧樺太庁所在地の豊原の地名の由来は、ロシアの文豪チェーホフの旅行記「サハリン島」だった?

2007年08月15日 | ロシア・北方領土
敵国の文豪の著作の一文から政庁所在地を名付けるというのは一見突拍子もなく思える。しかし、チェーホフの樺太旅行記が日露戦争のわずか9年前に出版されていること、ロシア領時代の樺太を詳細に描写していることを考えると、樺太攻撃・占領を計画していた日本軍の中枢部はこのチェーホフの旅行記を熟読していた筈だ。そして、北海道や樺太の多くの都市が先住民であるアイヌ人の言葉から地名を取っているのと比較して「豊原」という地名がアイヌ語と関係がない奇妙さを考えれば、チェーホフの言葉が由来という井澗説は十分説得力があるだろう。なお、井澗氏は、第二次大戦後に南樺太を占領したソ連が「豊原」とチェーホフの関係を知っていれば地名を変更しなかったかもしれないと言っているが、少なくとも1953年のハザール人独裁打倒までのソ連ではそのようなことは困難であったのではないかと私は想像する。 豊原の現在の名前である「ユジノサハリンスク」の「ユジノ」は「南の」という意味であり、日本語に直訳すれば「南樺太市」という味気ない地名である。同様に千島列島の南クリル地区・クリル地区・北クリル地区の中心行政地も日本語に直訳すると「南千島町」「千島町」「北千島町」という味気ない地名である。私は、近い将来に日露の対立が解消されると共に「ユジノサハリンスク」がチェーホフの樺太旅行記から取られた昔の名前である「豊原」に変更されることを望む。それは、ソ連崩壊と共にレニングラードがドイツ名のサンクトペテルブルグに改められたのと同様、日露両国の友好形成に役立つことだろう。 . . . 本文を読む
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