国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

フルシチョフ第一書記、ブレジネフ書記長とウクライナのオレンジ革命

2007年08月11日 | ロシア・北方領土
フルシチョフとブレジネフは共に、ウクライナ東部または隣接するロシアの州を故郷とし、ウクライナを主要な活動の場としたロシア人政治家である。ロシアの1/3の人口のウクライナの中の少数民族であるロシア人が1953年のハザール人独裁打倒からゴルバチョフ登場までソ連を支配した事実は実に興味深い。 そして、オレンジ革命の中心人物であるユシチェンコ大統領とティモシェンコ元首相も、何故か支持基盤のウクライナ西部ではなく親ロシアの東部の出身なのである。ユシチェンコはKGB勤務暦があるし、ティモシェンコが巨万の富を築いたガス産業はロシアからの供給を受けている。この二人の政治家は恐らくロシア政府の工作員として反ロシア運動を推進しているのだろう。 フルシチョフはハザール独裁打倒直後の1955年に、ウクライナ融和策の一環としてクリミアをウクライナに割譲している。それほどウクライナとロシアの対立は深刻であったのだろう。そして、その主因が1930年代のウクライナの大飢饉と大粛清であったことは言うまでもない。大飢饉の起きた地域はウクライナと北カフカスに限局している。両地域は耕作に適した黒土地帯だが、ボルガ川流域・西シベリアの黒土地帯や中央アジアのオアシスでは飢饉は起きていない。 これは私の想像だが、ハザール人独裁政権であった当時のソ連政府は、ハザール人の伝統的居住地域であった北カフカス・ウクライナの住民との対立の怨念を晴らすべく、両地域に限定して穀物を収奪して農民を大虐殺したのではないか。そして、その後の粛清でウクライナの知識人を大虐殺することに成功したのではないか。 ロシア人ではあるがウクライナで育ち活動したフルシチョフは飢饉のため妻を失っており、ウクライナ人の経験した苦難とハザール人・モスクワ政府への怨念を誰よりも理解していただろう。その対策としてクリミア割譲が必要だったのだろう。 ウクライナ史ではナチスは侵略者とされる。しかし、ウクライナでナチスが大虐殺したのはユダヤ人だったことも明記されている。これは、ナチスが実はハザール系ユダヤ人による大虐殺からウクライナを救い出そうとしたことを国民に暗示するためだろう。近い将来に国際金融資本の世界支配が崩壊した時、ウクライナから(恐らくロシアも同様だろうが)「ヒトラーは我々の救世主だった!」との叫び声が上がると想像する。 . . . 本文を読む
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