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「今出て行ったあの男がお前の秘密を洩らしたら、お前は終わりだ!」
不吉な声が頭の中で叫んでいた。イジドール・フォルチュナ氏が彼女から出て行けと言われ、サロンのドアを後ろ手に閉めて出て行った後のことだ。その男は彼女がこの二十年間耳にすることもなく、自分で口にするのも憚ってきたド・シャルースという古い由緒ある名前で彼女を呼び、挨拶をしたのだった。皆にダルジュレと呼ばれている彼女がドュルタール・ド・シャルースの一族であることをその男は知っていたのだ。その自信に満ちた口調に彼女はへなへなとなった。
フォルチュナと名乗るその男は、自分の訪問の目的は私利私欲を求めてのものでは全くない、と断言した。ド・シャルース家に対し彼が行動を起こそうと考えた理由は、マルグリット嬢という若い娘の気の毒な身の上に同情したからというその一点のみにある、と彼は言い切った。しかしマダム・ダルジュレは過酷な人生経験を積み過ぎていたので、このような無私の申し出を信じることが出来なかった。この困難な時代、騎士道精神などというものはあまりにも絵空事すぎるということを彼女は身に染みて知っていた。
「あの男が来たのは」と彼女は呟いた。「私が死んだ兄の遺産を請求するべく名乗りを上げたら何らかの利益に与れると踏んだからに違いないわ……。あの男の懇願を撥ねつけたことで、もくろんでいた利益を私は彼から奪うことになってしまった。私はたった今敵を作ってしまったのよ……。こうなったらあの男は自分の知っていることをそこら中で言いふらすわ。ああ、あんな風に追い返してしまうなんて、私は馬鹿だった! 耳を傾けるふりをすべきだったのよ。どんな約束でもしてあの男を引き付けておくべきだった……」
彼女はここで言葉を止めた。ある希望が頭に浮かんだのだ。フォルチュナ氏はまださほど遠くには行っておるまい。誰かに後を追わせ、追いついたら彼を連れ戻させればよい。自分の失敗を完全には修復できなくとも、その被害を最小にすることは出来よう……。
彼女はすぐに階段を降り、召使と門番にたった今出て行った紳士の後を追いかけるよう命じた。主人は考え直したので、もう一度戻ってくださるようお願いせよ、と。二人は走って行き、彼女は中庭で待っていた。心は不安で締め付けられていた……。
だが、遅かった!十五分後に二人は相前後して戻ってきた。どこを探し回っても求める人物に似た人は見つからなかったという。通りに面した店の主人たちにも尋ねたが、彼を見たと言う者はいなかった。12.16