こういったことをド・コラルト氏は彼に約束していたのだったが、最後まではっきり言ったわけではない。だからといって何なのだ。友達の言葉を疑うなんてあり得ない。ド・コラルト子爵は彼のお手本であっただけでなく、彼にとっては預言者であった。彼ら二人の話すのを聞けば、子供のころからずっと一緒に育ってきたか、少なくとも長年の付き合いであるように見えた。が、実際はそうではなかった。彼らはほんの七、八カ月前に、見かけ上は偶然に知り合ったのだった。しかしその偶然というのはド・コラルト氏がお膳立てしたものであったことを付け加えねばならない。マダム・ダルジュレがエルダー通りを散歩するのには密かな理由があると嗅ぎつけた子爵は、それを確かめたいと思った。彼はウィルキー氏を観察し、彼が夜をどこで過ごすかを突き止め、自分もそこに出向き、三度目に会った際非常に巧みなやり方で彼に金を貸すという親切な行為に出た。その時点で征服は達せられたのである。『ナントの火消し』の出資者たるウィルキーをうっとりさせ魅惑するのに必要なものをド・コラルト氏はすべて持っていた。まず貴族の称号、それと自惚れた物腰、ずうずうしいまでの落ち着き、相当な資産家であることを窺わせる外見、そして多くの名士たちと交友関係があること、である。子爵はそういった自分の利点をよく分かっていて、それらを利用した。ウィルキーとはある程度の距離を保ちながら信頼を得てゆき、たちまちウィルキーが自分でも知らなかったようなことまで調べ上げた。実のところウィルキー氏は自分の生い立ちや過去のことをあまり知らなかったので、彼の自分語りは短いものだった:
思い出す限り最初の記憶は海であった。ごく幼い頃に長い長い航海をしたということには確信があった。彼は自分はアメリカで生まれたと思っていた。彼の名前がそれを裏付けるものだった。フランス語は彼が赤ん坊の頃たどたどしく口にした最初の言語でないことは確かだった。それというのも記憶の底にまだいくつか英語表現が残っており、思い出すことが出来た。中でも父親を表す言葉は慣れ親しんだものとして二十年経った今も、完璧な発音で言うことが出来た。この言葉は教えられたものに違いなかったが、彼がそう呼んだ相手の男の記憶はなかった。彼がはっきり覚えている最初の感覚は空腹であった。それと疲労、寒さ。ある寒い冬の夜、凍るような雨の中を一晩中一人の女に手を引かれパリの通りを歩いていたときの記憶は強烈であった。半分裸足で泥の中を歩き、疲れで泣きながら食べ物をねだっていた自分の姿が目に見えるようだ。するとその女性が手を差し伸べ、彼を抱き上げてくれ、もうこれ以上我慢できないというところまで来ると、また彼を下に降ろしたのだった。この女性はおそらく彼の母親だったのであろうが、その姿は曖昧なまま彼の記憶に留まった。10.29
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