彼に話す気がないことは明らかだった。男爵は肩をすくめたが、パスカルは果敢に一歩前に踏み出した。
「それでは、大公、貴方がどうしても言えないというその名前を私の口から申しましょう……」
「え?」
「但し、男爵と私がたった今致しました誓約は、今この瞬間から無効になるという点をはっきり申しておきます」
「ああ、もちろん」
「では申します。貴方に不正を働いた相手というのはド・ヴァロルセイ侯爵です」
皇帝の密使が処刑の紐を携えて現れたとしても、カミ・ベイがこれほど怖れを見せることはなかったであろう。彼はぽっちゃりとした小さな脚でぴょんと立ち上がると、目を泳がせ、絶望的な身振りで両手を動かした。
「シッ、声が大きい!」彼は震えあがった声で言った。「大きな声を出しなさるな」
というわけで、彼は否定しようとさえしなかった。事実は確定したと考えてよさそうだった。
しかしパスカルは、それだけでは満足しなかった。
「主要人物が分かった今は」と彼は続けた。「大公、どのような経緯でそう為ったか、お話頂けるでしょうね……」
哀れなカミ・ベイは追い詰められた。彼は房の長い赤いトルコ帽の下で冷や汗を滝のように流していた。
「あ~あ、仕方がない!」彼は悲し気に答えた。「ごくごく単純なことですよ……私は競走馬というのを持ちたかった。ところが、です。私はこのスポーツにおいては全くの素人にすぎず、馬とロバの区別もつかない……。それなのに人は朝から晩まで私に言う。『大公、あなたみたいな方なら競走馬をお持ちにならなければ』 新聞を広げれば『彼のような人物なら競走馬を所有して然るべき』というようなことが必ず書いてある。そんなわけでとうとう私もこう思った。そうだ、彼らの言うとおり、私のような男は競走馬を持たなければ、と。それ以来私は馬を探し始めた。あらゆる筋から馬を買い漁っているとき、ある日ド・ヴァロルセイ侯爵が私に言ったのだ。
彼の持ち馬のうち数頭を譲っても良い、と。それらはよく名前の知られた馬で、彼の言うところによると、買値の十倍以上の儲けをもたらしてくれた、と。私はその申し出を受け、彼の厩舎を一緒に見に行く約束をし、実際に行ってみて、その場で七頭の馬を買うことを即決した。それらは彼の持つ馬の中でも最上のもので、将来性も十分にある、と彼は誓った。それで私はその価格を支払った。それは間違いない……。ところが、ここでまんまと罠に引っかかったというわけだ。引き渡されたのは私が買った馬ではなかった。本当に私の買った馬たち、粒選りの名馬たち、はよそに売られていた。どうやらイギリスの誰かのもとに偽の名前をつけて。そして私はと言えば、大金をはたいて手に入れたのは身体つきや毛色は似ているものの、どうしようもない駄馬だったのだ……」
パスカルとトリゴー男爵は、呆気にとられた視線を交わした。10.20
「それでは、大公、貴方がどうしても言えないというその名前を私の口から申しましょう……」
「え?」
「但し、男爵と私がたった今致しました誓約は、今この瞬間から無効になるという点をはっきり申しておきます」
「ああ、もちろん」
「では申します。貴方に不正を働いた相手というのはド・ヴァロルセイ侯爵です」
皇帝の密使が処刑の紐を携えて現れたとしても、カミ・ベイがこれほど怖れを見せることはなかったであろう。彼はぽっちゃりとした小さな脚でぴょんと立ち上がると、目を泳がせ、絶望的な身振りで両手を動かした。
「シッ、声が大きい!」彼は震えあがった声で言った。「大きな声を出しなさるな」
というわけで、彼は否定しようとさえしなかった。事実は確定したと考えてよさそうだった。
しかしパスカルは、それだけでは満足しなかった。
「主要人物が分かった今は」と彼は続けた。「大公、どのような経緯でそう為ったか、お話頂けるでしょうね……」
哀れなカミ・ベイは追い詰められた。彼は房の長い赤いトルコ帽の下で冷や汗を滝のように流していた。
「あ~あ、仕方がない!」彼は悲し気に答えた。「ごくごく単純なことですよ……私は競走馬というのを持ちたかった。ところが、です。私はこのスポーツにおいては全くの素人にすぎず、馬とロバの区別もつかない……。それなのに人は朝から晩まで私に言う。『大公、あなたみたいな方なら競走馬をお持ちにならなければ』 新聞を広げれば『彼のような人物なら競走馬を所有して然るべき』というようなことが必ず書いてある。そんなわけでとうとう私もこう思った。そうだ、彼らの言うとおり、私のような男は競走馬を持たなければ、と。それ以来私は馬を探し始めた。あらゆる筋から馬を買い漁っているとき、ある日ド・ヴァロルセイ侯爵が私に言ったのだ。
彼の持ち馬のうち数頭を譲っても良い、と。それらはよく名前の知られた馬で、彼の言うところによると、買値の十倍以上の儲けをもたらしてくれた、と。私はその申し出を受け、彼の厩舎を一緒に見に行く約束をし、実際に行ってみて、その場で七頭の馬を買うことを即決した。それらは彼の持つ馬の中でも最上のもので、将来性も十分にある、と彼は誓った。それで私はその価格を支払った。それは間違いない……。ところが、ここでまんまと罠に引っかかったというわけだ。引き渡されたのは私が買った馬ではなかった。本当に私の買った馬たち、粒選りの名馬たち、はよそに売られていた。どうやらイギリスの誰かのもとに偽の名前をつけて。そして私はと言えば、大金をはたいて手に入れたのは身体つきや毛色は似ているものの、どうしようもない駄馬だったのだ……」
パスカルとトリゴー男爵は、呆気にとられた視線を交わした。10.20
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