エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-VIII-12

2023-07-23 09:54:02 | 地獄の生活
「貴方にお願いしたいことがあるんです。とても大事なことです」
「この私に?」
彼女はポケットからド・ヴァロルセイ侯爵の手紙を取り出し、相手に見せた。
「貴方にこの手紙の写真を撮って頂きたいのです。どうかお願いです……今すぐに、私の目の前で、です。これには二人の人間の名誉が掛かっています。今こうしている一瞬一瞬がそれを危険に晒しているのです!」
マルグリット嬢を突き動かしているものの激しさは誰の目にも明らかだった。彼女の頬は真っ赤になり、全身がぶるぶると震えていた。それでいて、彼女は誇り高い態度を崩さなかった。高潔な思いの一途さが彼女の大きな黒い目を輝かせており、その口調の静かさに彼女の強い心が感じられ、正義のために最後まで戦うという決意がにじみ出ていた。
若い娘の恥じらいと恋する者の逞しさという相反する力が彼女の中でせめぎ合い、不思議な心を打つ魅力を醸し出していたので、その写真家は断る気になれなかった。いかにも突飛な要求ではあったが、彼は躊躇しなかった。
「喜んでご要望にお応えしましょう、マダム」と彼は頭を下げながら答えた。
「まぁ! なんと言ってお礼を申し上げたらいいか……」
彼は最後まで聞かなかった。四、五人の客が順番の来るのを今か今かと待っているサロンに戻って行くことは出来なかったので、従業員の一人を呼び必要な機材を急いで持ってくるよう命じた。マルグリット嬢は言いさしたままだったが、彼が指示を出し終わった後すぐに口を開いた。
「貴方様はちょっと性急すぎるのではございませんか。私の説明をまだ聞いておられません。ひょっとしたら私の望むことは不可能かもしれません。私は何の予備知識もなく、自分の思いつきで、たまたまここに参ったのでございます。貴方様に仕事をご依頼する前に、果たして私の要求に応えて頂けるものかどうか、知らなければなりません……」
「お話しください」
「こちらで撮って頂く写真は実物そっくりに出来ましょうか?」
「もちろんでございます」
「書かれた文字についても、ですか? すべて忠実に?」
「文字であっても同じ、すべて忠実に写ります」
「こちらで撮られた手紙の写真を、それを書いた本人に見せたとして……」
「原本を突き付けられたと同様、自分のものでないと否認することはできないでしょう」
「で、写真に撮られたという跡は残らないのですね?」
「全く残りません」
マルグリット嬢の唇に勝利の微笑みが浮かんだ。7.23


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