ー 田嶋さん ご冥福をお祈りいたします ー
これまで私が生きて来た45年間の中で、沢山の人との出会いがありました。
その中で最も尊敬する恩師(田嶋さん)が8年間の闘病生活の末、今月3日亡くなられました。
葬儀には全国あちこちから驚く程の方々が参列されていました。田嶋さんの人柄が伺えます。
知り合ったきっかけは、初めてWORLD POLICE&FIRE GAMES(世界警察消防スポーツ競技大会)に参加した時でした。当時、神奈川県警第二交通機動隊で活躍されていた方で、過去WORLD POLICE&FIRE GAMESではバイク競技で一大会に4種目参加し全て金メダルに輝いた歴史的快挙を成し遂げた伝説のスーパーアスリートです。
今から7年前の2005年
私は初めての海外大会で、右も左も分からない状態で成田から出発したのですが、開催地のカナダ・ケベックに行くため、ノースウェスト航空の機内で乗り継ぎのデトロイトまで14時間もかかり、時差の不安や、言葉も通じないところに行くけど、この先、精神的に持つのか!?と1人で 大きな不安を抱えていたのですが、田嶋さんが隣の席から私を見て、その状態を察してくださり落ち着いた表情・口調で、これから行く世界大会の素晴らしさや、過去の大会の出来事、体験談を沢山教えてくださり、当初不安感を待っていた自分でしたが不思議といろんな話を聞いているうちに段々と「居心地が良い空間」に、いつの間にか変わっていたのを覚えています。
田嶋さんには、なにか普通の人には無い「不思議なパワーを持った人」と言う印象が今でもあります。
自分とは全く正反対の性格なのに、一緒にいて居心地が良いなんて、こんな経験はこれまで有りませんでした。
飛行機では中央の4席あるうちの3番目で通路側に田嶋さんが座り、狭いため私は小さくなって離陸するまえからこんな状態で十何時間も耐えれない!と不安を抱えながら、カナダに向かったのですが、今思えば、この時田嶋さんにどれだけ助けられた事か…。
本当に感謝しています。
私は金メダルを取るために、1度きりの出場と考えてたのですが「みんな最初はそう言うけど、なんだかんだ言って隔年起きに必ず参加するようになるんだよね(笑)」と言っていたのを覚えています。確かに、あれからオーストラリア アデレード、ニューヨークと3大会に参加しています。
田嶋さんは、知り合った時、目をギラギラさせて、世界中の仲間のこと、自分の家族の事など物凄く楽しそうに話をしていました。過去何度も出場し沢山の種目で金メダルをとっているにもかかわらず自分の名誉より、素晴らしい仲間との出会いの話を一生懸命語っておられたのが物凄く印象に残っています。
お会いしたのは昨年9月ニューヨーク大会が最後でしたが、帰りのジョンFケネディ空港に向かうバスの中で、
こんなことを話されていました。
最後の大会
これが「最後の大会と思って、これまで愛用して来たヘルメット、ブーツ、ツナギ、手袋全て試合会場のゴミ箱に捨てて来た!もう、これが最後だから…。」と少し笑みを浮かべて話したいました。
あんなに、この大会を心の底から愛していたのに、「最後だから…」と言った田嶋さんの表情には「もう沢山楽しんだよ。悔いは無い!」と言う風に見て取れました。覚悟が出来ていたんでしょうね。
田嶋さんが「最後だから」と言った、"ニューヨーク大会"の結果を聞くと、何と!こんな状態でも"金メダル"を取ったと聞いて驚きました。
すると、田嶋さんの口から「長年ライバルとして戦ってきた強敵の二人がいるんだけど、この二人が自分の病状や、この大会が最後の大会だと知り、ワザと抜かなかったんではないか?と言っていました。
試合が終わり、「君たちのお陰で、最後に最高のメダルを手にする事が出来たよ!サンキュー!」と言うと、彼らは「とんでもない、俺たちは何度も田嶋を抜こうとしたが、最後の最後まで君を抜く事は出来なかったよ!全て君の実力だよ!」と言う答えを返してくれたそうです。
素晴らしい人間には素晴らしい人との巡り会いがあるんだと思います。
短い生涯を終えましたが、満足行く人生だったはずです!
田嶋さん、長い長い闘病生活、本当にお疲れ様でした。
これからは田嶋さんに代わり、我々が沢山のメダルを日本に持ち帰れる様に頑張ります。
有り難う御座いました。
ご恩は一生忘れません。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
2011 WORLD POLICE&FIRE GAMES NY
最後と成ったニューヨーク大会では日本選手団の旗手を務められました。
オリンピック銀メダリスト有森裕子さんと、第18代消防総監 杉村さんの前で、日の丸を掲げて堂々と胸を張って行進する姿は、とても格好良かったです。