東日本大震災から7年目となる3月11日を迎えました。この震災により犠牲となられた全ての方々のご冥福をお祈りいたします。ご親族やご友人、かけがえのない親しい方々を亡くされた皆さま、そして今も多くの困難に向き合い、苦悩な日々を過ごされている皆さまには心よりお見舞いを申し上げます。
残念なことではありますが、人々からあの時の記憶が次第に薄れゆく印象はぬぐえない。今なお復興のために懸命にご尽力されている方がいること、今なお苦しみから抜け出せない人々がいる事を忘れてはなりません。
先日、ステアレースの記事で紹介した日本警察消防スポーツ連盟の仲間達も、東日本大震災では休暇を取得して現地に向かい復興支援を行なってきました。
彼らはこれまでニューヨークのテロでワールドトレードセンターが崩壊した時も、まだ地面が熱く誰も立ち入れない現場に行き、救助活動を行いました。これは11人の消防士と言う本にもなりました。
また、大震災の翌年の2012年には、大震災で行方不明となった宮城県石巻地区広域行政事務組合消防本部に勤務する4人の消防士の早期発見の願いと、被害を受けた消防本部や行方不明となった消防士達の家族を応援し元気づけるため、19都道府県の消防職員で消防タスキリレーを計画し実行しました。
鹿児島市から宮城県石巻市までの距離はなんと約2千㎞。このタスキリレーは、19都道府県の消防職員など3,000人もの消防士たちがタスキを繋ぎ、ゴールの石巻まで見事に完走し被災した方々のご家族に笑顔を与えました。
東日本大震災復興企画・消防士タスキリレー石巻ゴール
私も中越沖地震の時に連盟の皆さんと一緒に、災害現場でボランティア活動をさせて頂いた経験があります。
ボランティアにもそれぞれ任務分担があり、被災家屋(個人宅)のがれき除去や清掃、側溝整備(泥だし)、土砂の土嚢詰め、田畑・河川の土手のがれき除去、救援物資の仕分け作業、避難所の環境改善活動、草刈りなどの力仕事を中心としたボランティア活動が実施されます。私の担当は仮設トイレの設営作業とトイレを流すための水入れ、トイレットペーパーの交換など。一日中、あちこちの仮設トイレに市の職員と2人ペアで行き作業を行いました。かなりの重労働です。
被災地はその被災場所によっては、ボランティアの方々も交通の便がないので、たどり着くことが困難で人手が足りないと言うことに繋がるそうです。
東日本大震災のみならず、災害で家族を亡くされた方々の支援、サポートなど微力ながらこれからも行なって行きたいと思います。そして一日も早く復旧を果たされることをお祈りすると同時に、被災された皆様が平穏な日々を取り戻せる時が来るよう心よりお祈り申し上げます。