日本は「できる生徒」より「人気者」…高校生意識調査 (読売新聞) - goo ニュース
記事によると「米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いのに対し、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」。もっぱら漫画や携帯電話に関心が向けられているという傾向も表れており、“勉強離れ”が際だつ結果となっている」との事・・・。
まずは「国際的な比較」と言う事を考えると、日米中韓の4か国だけで良いの?って率直に思いました。教育水準の高さで言うならば、インドやフィンランドも注目すべきではないか?と個人的には感じています。他の先進国との比較結果にも興味があるところです。・・・とまあ文句を言っても始まりませんね。
米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いと言われると、その他の国の場合はどうなのよ?と突っ込みたくなる欲求はさて置いて、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」ですか~~(納得)。
私自身、過去を振り返ってみると・・・クラスには必ずと言って良いほど人気者的な存在がいました。しかし、人気者って「なってやろう」と思ってなれるようなものではないように思います。もともとの人徳?というか天性のキャラクターによって支えられているような気がしてなりません。子供の頃から世渡りの上手いタイプってどこにでもいるものです。なれと言われてなれるものではないのです。確かに、周りから敵視されて虐められるのはマッピラゴメンですが・・・。
それにしても・・・勉強が出来る事と人気者である事が対極的になっている事がちょっと気になります。勉強が出来てスポーツも万能で人気者ってタイプもいれば、勉強は苦手でも明るくひょうきんな人気者もいるのです。この辺はアンケートの取り方・解釈の相違と言った所でしょうか。
記事の中でなるほどと頷けたのは、最後の「未来志向の米中韓に対し、日本の高校生は現在志向が顕著で、『勉強しても、良い将来が待っているとは限らない』と冷めた意識を持っている」という一文でした。
確かに、一生懸命勉強したからと言って良い将来が待っているとは限らない。では、その逆はどうか?一生懸命勉強サボったから良い将来が保証されている?・・・馬鹿な事言うんじゃない!とお叱りを受けそうですねf(^^;)。ある先生が「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を文字って「人事を尽くさずして天誅が下る」と言う格言を示されました。これは上手い!
人事を尽くしても良い結果に結びつくかどうかはわからない。努力に裏切られる事もあるだろう。しかし、だからと言って始めから投げ出すような姿勢では決して、人生の逆転満塁ホームランの大砲を放つことはできない。私はよく宝くじも買わなきゃ当たらん!という言葉を使います。み~んな言ってることは同じなんです。
人事を尽くす、宝くじを買う、努力をする、それぞれの言葉は違えど、言ってる事は同じ。自分をより高めていくための勉強をすること。ちなみにここで言う「勉強」とは、学校や塾のお勉強が出来るという狭い意味には留まりません。知識を仕入れることはもちろん、色々な人とふれあい、様々な経験をし、成功もあれば派手に失敗する事もあり、そんなこんなを繰り返しながらも、何かを掴み取って少しずつでも成長していくこと・・・。簡単に纏めると「未来の自分に対する先行投資」です。
私も学校のお勉強はあんまり得意ではなかったなあ・・・。小学校の頃は勉強もスポーツも子供同士のふれあいも全てダメだったこともあり、このまま高校にさえ入れないのでは・・・と両親に将来を絶望されていた程だったのです。でも、人一倍勉強しましたよ。中指のペン胼胝が痛くなるくらいに・・・。やっぱり昔からスペシャリスト志向が強かったことが大きく影響していたのかもしれません。
ちなみに、子供の頃は気象にはぜ~んぜん興味がありませんでした。そんな私がなぜ気象予報士になったのか?それは気象トレンド未来予報を御覧の皆様はもうご存知ですよね!
まあ、教科書だけが全てではないと思います。でもね、いろんな知識を吸収し理解していく上で、教科書から学ぶ知識が基礎になるんですよね。学校で勉強する事が即実用的かと言うとそうでもないかな~・・・って思います。しかし、より実践的な技術を学んでいく上で、それまでに学校で勉強した知識が活きて来るのです。
例えば、(この意見には異論反論もあるかもしれませんが)、気象予報士試験の勉強を進めていく上で、数学や物理の基礎知識や思考力は必須です。そして、私のようにCFDを中心とする計算力学や数理モデルを駆使した局地気象へのアプローチを専門に行う方にとって、高等数学はもはや常識です。そして、このような基礎知識は既に学校で学んでいるのです。
所詮、学校で学ぶ知識というのは未来に出会う知識を理解するための基礎知識に過ぎません。本当に必要なことを理解し、認識するための準備する場が学校なのです。そう考えると、今が楽しければそれで良いと言うのは、ちょっと先が恐ろしいなあ。
その前に、今頑張るとこんな素敵な未来が待っているよ!っていうお手本が見出せない現状にも問題があるのかなあ。幸せな人生のお手本なんてあってないようなものだと思うのは私だけでしょうか?なぜなら幸せの定義って人それぞれなのだから。
記事によると「米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いのに対し、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」。もっぱら漫画や携帯電話に関心が向けられているという傾向も表れており、“勉強離れ”が際だつ結果となっている」との事・・・。
まずは「国際的な比較」と言う事を考えると、日米中韓の4か国だけで良いの?って率直に思いました。教育水準の高さで言うならば、インドやフィンランドも注目すべきではないか?と個人的には感じています。他の先進国との比較結果にも興味があるところです。・・・とまあ文句を言っても始まりませんね。
米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いと言われると、その他の国の場合はどうなのよ?と突っ込みたくなる欲求はさて置いて、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」ですか~~(納得)。
私自身、過去を振り返ってみると・・・クラスには必ずと言って良いほど人気者的な存在がいました。しかし、人気者って「なってやろう」と思ってなれるようなものではないように思います。もともとの人徳?というか天性のキャラクターによって支えられているような気がしてなりません。子供の頃から世渡りの上手いタイプってどこにでもいるものです。なれと言われてなれるものではないのです。確かに、周りから敵視されて虐められるのはマッピラゴメンですが・・・。
それにしても・・・勉強が出来る事と人気者である事が対極的になっている事がちょっと気になります。勉強が出来てスポーツも万能で人気者ってタイプもいれば、勉強は苦手でも明るくひょうきんな人気者もいるのです。この辺はアンケートの取り方・解釈の相違と言った所でしょうか。
記事の中でなるほどと頷けたのは、最後の「未来志向の米中韓に対し、日本の高校生は現在志向が顕著で、『勉強しても、良い将来が待っているとは限らない』と冷めた意識を持っている」という一文でした。
確かに、一生懸命勉強したからと言って良い将来が待っているとは限らない。では、その逆はどうか?一生懸命勉強サボったから良い将来が保証されている?・・・馬鹿な事言うんじゃない!とお叱りを受けそうですねf(^^;)。ある先生が「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を文字って「人事を尽くさずして天誅が下る」と言う格言を示されました。これは上手い!
人事を尽くしても良い結果に結びつくかどうかはわからない。努力に裏切られる事もあるだろう。しかし、だからと言って始めから投げ出すような姿勢では決して、人生の逆転満塁ホームランの大砲を放つことはできない。私はよく宝くじも買わなきゃ当たらん!という言葉を使います。み~んな言ってることは同じなんです。
人事を尽くす、宝くじを買う、努力をする、それぞれの言葉は違えど、言ってる事は同じ。自分をより高めていくための勉強をすること。ちなみにここで言う「勉強」とは、学校や塾のお勉強が出来るという狭い意味には留まりません。知識を仕入れることはもちろん、色々な人とふれあい、様々な経験をし、成功もあれば派手に失敗する事もあり、そんなこんなを繰り返しながらも、何かを掴み取って少しずつでも成長していくこと・・・。簡単に纏めると「未来の自分に対する先行投資」です。
私も学校のお勉強はあんまり得意ではなかったなあ・・・。小学校の頃は勉強もスポーツも子供同士のふれあいも全てダメだったこともあり、このまま高校にさえ入れないのでは・・・と両親に将来を絶望されていた程だったのです。でも、人一倍勉強しましたよ。中指のペン胼胝が痛くなるくらいに・・・。やっぱり昔からスペシャリスト志向が強かったことが大きく影響していたのかもしれません。
ちなみに、子供の頃は気象にはぜ~んぜん興味がありませんでした。そんな私がなぜ気象予報士になったのか?それは気象トレンド未来予報を御覧の皆様はもうご存知ですよね!
まあ、教科書だけが全てではないと思います。でもね、いろんな知識を吸収し理解していく上で、教科書から学ぶ知識が基礎になるんですよね。学校で勉強する事が即実用的かと言うとそうでもないかな~・・・って思います。しかし、より実践的な技術を学んでいく上で、それまでに学校で勉強した知識が活きて来るのです。
例えば、(この意見には異論反論もあるかもしれませんが)、気象予報士試験の勉強を進めていく上で、数学や物理の基礎知識や思考力は必須です。そして、私のようにCFDを中心とする計算力学や数理モデルを駆使した局地気象へのアプローチを専門に行う方にとって、高等数学はもはや常識です。そして、このような基礎知識は既に学校で学んでいるのです。
所詮、学校で学ぶ知識というのは未来に出会う知識を理解するための基礎知識に過ぎません。本当に必要なことを理解し、認識するための準備する場が学校なのです。そう考えると、今が楽しければそれで良いと言うのは、ちょっと先が恐ろしいなあ。
その前に、今頑張るとこんな素敵な未来が待っているよ!っていうお手本が見出せない現状にも問題があるのかなあ。幸せな人生のお手本なんてあってないようなものだと思うのは私だけでしょうか?なぜなら幸せの定義って人それぞれなのだから。