◎呼吸停止と第三の目
ヨーニ・ムドラーは、重要中の重要な技法であって、饒舌なOSHOバグワンですら簡単にしか触れていない。ヨーニ・ムドラーは、シヴァ・サンヒターに登場し、古事記海幸彦山幸彦の段に無間勝間(めなしかたま)の神船として登場し、荘子に七つの穴をふさぐと混沌になった話として記載がある。荘子の元の話は、穴のない混沌に七つの穴をあけたら混沌は死んでしまったという話だが、逆順に話を構成するとそう読める。
OSHOバグワンの説明の概要は以下。
- 経文本文『両手で頭部の七つの孔を塞ぐ、
そのとき、両目の間の空間はすべてを包含する。』
(参照:ヴィギャンバイラブタントラ(2源泉への道)OSHO P102から引用)
- 両目、両耳、鼻、口の七つを全部塞げば、呼吸が止まり意識の動きは止まる。思考、想念は、息ともに動くからである。
- 意識が内に止まることで、意識は両目の間にある第三の目に焦点を定める。
ただし、第三の目は肉体の一部ではない。
- 第三の目にすべて、何もかもが包含されている。両目は有限すなわち物質を見るが第三の目は、無限を見る。
- これを実現すると、全宇宙が私の中にあることを体感し、「私は神である」と実感する。
(参照:上掲書P102-108)
OSHOバグワンは、イスラム教のホセイン・マンスール・ハッラージが、「私は神である」と公言して、その結果惨殺された例で警告するが、キリスト教のエックハルトもそういう実感はあったようだが、異端認定されないように苦労したようだ。
いわんやこのSNSの世界で、「私は神である」とつぶやけば、精神異常者扱いされることになるのではないか。宗教組織に守られていれば「私は神である」と唱えても教祖など本人に実害は及ばないかもしれないが、一市井人がそれを言うのは21世紀の現代でも憚られる。
なぜだかSNS上に私は悟ったと書いている人が少なからずいるが、大丈夫なのだろうか。