アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ニュートンの世界観

2023-04-22 11:24:45 | 錬金術neo

◎第五元素の説明

(2006-12-30)

 

錬金術書の挿絵や説明が、ユング派の心理学者が主張するような人格の成長やら自我の形成・確立という心理現象に留まるものではないように、ニュートンの物理学的世界観には、物質、時間、空間を一歩超えている形跡を見ることができる。

 

第五元素とは、地水火風の四元素の次のものであるが、ニュートンの手稿によれば、そのような捕らえ方となっている。

『とくに興味深いのは、ニュートンの一覧のなかに第五元素が含まれていることである。イシス、ユノ、ケレスと、さまざまな民族によってさまざまに呼ばれたこの元素を、ニュートン自身は「クィンテセンティア〔第五元素〕もしくはエレメントールム・カオス〔諸元素のカオス〕、すなわちムンドゥス〔世界〕」と呼ぶのだと言い、それは錬金術ではアンチモンあるいは「マグネシア・ゲブリ〔ゲーベルのマグネシア〕」と表わされるのだと注記している。「マグネシアとは、火でも空気でも水でも土でもなく、それらのすべてである」と彼は述べている。

 

それは火のようでも、空気のようでも、水のようでも、土のようでもある。熱であり、乾であり、湿であり、冷である。水のような火であり、火のような水である。物質的霊であり、霊的物体である。それは濃縮された世界霊である。

 

要するに、天界の第五元素が天を地に上から結びつけているがごとく、下から地を天に結びつけているのが錬金術師の第五元素なのである。 』

(錬金術師ニュートン/Bドッブズ P195-196から引用)

 

このように第五元素とは、四元素とは全く同列ではなく、もはや物質とは呼べない物質のことである。ここで形容されている第五元素(マグネシア、アンチモン)の属性は、冥想体験の深化の中で、自分というものを持ちながら、神を見た時に得られるビジョンと同様であるので、ニュートンは錬金術研究のプロセスの中で、それを見たか、直観したかのいずれかなのだろうと思う。

 

錬金術研究という一つの行に打ち込む”一行三昧”により、このような窮極についての洞察か、もはや体験とはよべない体験が起こったとしても、それは不思議なことではないと思う。

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冥想道手帳 ダンテス・ダイジ-17

2023-04-22 07:24:35 | ダンテス・ダイジの風光

◎君は神であるとともにまたとない人間なのである

 

西洋ではなぜ四元素なのに仏教では五大なのか。パラケルススは、第五元素に言及している。ニュートンも第五元素を認めているが物質レベルのものではなく、霊的レベルのものである。それをニコラ・フラメルも認めている。

 

ダンテス・ダイジの基本線は霊がかりをやめようということなのに、ここで改めて霊的世界観に言及する理由は、あくまで見神見仏見性を経た、つまり禅の十牛図で言えば第三図以降の人限定で語っているからである。

 

『【冥想五大の道】

 

五大とは、地水火風空の五つの神秘的シン ボルが、この世とかの世とを仮現せしめているということである。

宮本武蔵の「五輪之書」もこれに従っている。

地・水・火・風・空は、現象宇宙が創出される基本的な要素であるばかりでなく、霊 的宇宙の中にも霊的五要素のエネルギーの流れとして存在している。

 

ただし、人間の知的側面に映るあらゆる分類は、その時々の修行者の魂に役立つための方便にすぎない。

あらゆる二元性を超越し、超越したことも 超越した君にとっては、この世とかの世との種々様々な分類は、出入自在なる君の戯れと化している

 

君は、時間でない今、何よりも生きているのだ。』

(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)

 

五大は現象宇宙の構成要素であって霊的世界もそうであるという意味は、霊的世界から現象宇宙が発出されるのを前提としている。物理実験で、五大が検出されるわけではない。

またここで五大を述べるがそれが絶対ではなく、『人間の知的側面に映るあらゆる分類は、その時々の修行者の魂に役立つための方便にすぎない。』と釘をさす。

 

ノンデュアリティで、男と女、善と悪、光と闇、天国と地獄などの二元性の選り好みを超えたら、その超えたことも超越すれば、この世もあの世も生も死も出入り自在である。

  

『地大・基本冥想道

 

君は、君の本質的個性をおおらかに生きるとともに、無限それ自体を自覚している。

神と神のつくりしままの君という個性が、あるがままの君だ。君は神であるとともにまたとない人間なのである。

 

太郎には太郎の宇宙があり、メアリーにはメアリーの宇宙があり、君には君の宇宙がある。

 

それらの多様多元な宇宙は、完全な調和の中に遊んでいる。君が本当の自分自身を自覚体得した時、そこには、どのような衝突もない。

それと同時に、多様多元宇宙は一つというも愚かな一つなのだ。

 

私は、人が生きたり死んだりしない世界にあこがれて、冥想の道を歩んだ。

今、気がついてみると

冥想も悟りも消えてしまった。

ここに、人が生きたり死んだりしている。

完全そのものなる絶対無の私は

アルファ・ケンタウリスの

あの少女の人生を生きている。』

(上掲書から引用)

 

『君の本質的個性をおおらかに生きるとともに、無限それ自体を自覚している。』とは、見神見仏見性を経て、初めて自分の本質的個性をおおらかに生きることができるということ。君は神にして、またとない人。

 

そんな君は、誰のものでもない君の宇宙を生きる。そうした分断された各宇宙が他の宇宙と摩擦も起こさず、不思議なことだが、全体として調和のままに活動存在している。

 

それが、『それらの多様多元な宇宙は、完全な調和の中に遊んでいる。君が本当の自分自身を自覚体得した時、そこには、どのような衝突もない。』ということ。

 

『多様多元宇宙は一つ』とは、第六身体アートマンを指す。

 

冥想も悟りも消えてニルヴァーナにあるダンテス・ダイジは、

『アルファ・ケンタウリスのあの少女の人生を生きている。』。

 

私は、この『アルファ・ケンタウリスのあの少女の人生を生きている。』の一節が、とても好きだ。

 

『アルファ・ケンタウリス』は、ケンタウルス座のアルファ星系。太陽系から4.3光年しか離れておらず、地球から最も近い恒星系。

 

ダンテス・ダイジは、名前にケンタウロスが入っていた時期がアトランティス時代にあったようだが、それが、アルファ・ケンタウリスとどう関係があったのかはわからない。

 

ダンテス・ダイジの前世の少女のイメージといえば、アトランティスのレムリア時代の聖王トースの愛人の一人であったナツノだが、彼女がアルファ・ケンタウリス出身かどうかはわからない。

 

ダンテス・ダイジ座談などでは、最初に彼が地球に降り立ったのが、銀色に光る円盤であって、それがケンタウルス座のアルファ星系からのそれなのかシリウスからのそれなのかも判然としない。

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