◎ダンテス・ダイジの超宗派的冥想
(2019-12-08)
『危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告/ケント・ギルバート/ロバート・D・エルドリッジ/産経新聞出版』は平成28年の本だが、尖閣に中国船は入ってきても文句を言わない県知事が辺野古反対ばかり唱える事象を筆頭に、ほとんど中国の一自治区みたいになった沖縄の実態を浮かび上がらせる。
沖縄は、地理的にみて、上海、台北、釜山、福岡からほぼ等距離にあり、中国、台湾、韓国を睨むには絶好で、軍事的要衝であり、これがゆえに米軍基地が多い。ペリー提督が日本来航前に沖縄を測量したのは、その軍事的価値の故である。
だから戦前沖縄が捨て石作戦の犠牲になったから手っ取り早く沖縄に米軍基地が多くなったということではないと理解している。
ダンテス・ダイジは、自らの禅的悟りの修行場として沖縄を選んだ。なぜ沖縄を選んだかについて、その座談の中で、沖縄人は本土の人よりも因習的な先入観が少ないということを語っている。
悟りの修行は、多くの部分が先入観を取り去るということだが、沖縄の人はその土台のところで一歩リードしていると見たのだろう。
その成果がダンテス・ダイジの超宗派的冥想という小冊子。この小冊子を今眺めてみると、後の『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の骨組みの外形が現れているのに気づく。当時これを読んでも腑(はら)落ちしなかったのだが、ダンテス・ダイジ自身がこれは沖縄人向けに書いたのだというコメントがあり、また沖縄人の精神には戦争の影響が大きいことも言っていた。そのことが、この小冊子がバランスを欠いた印象を与える原因かと自分を納得させていた。
今読み返すと、七つの身体論がないところが、今一つ説得力を欠く理由なのかと思う。ダンテス・ダイジは「超宗派的冥想」以後に、クンダリーニ・ヨーガでのニルヴァーナを得たので、そこで初めて七つの身体を実証したのだろう。
映画『涙そうそう』(なだそうそう)は、2006年の日本映画。主演は妻夫木聡と長澤まさみ。借金返済のために過労のお兄ちゃんが、はかなくも病死する話。正しく、生きて死ぬ。人間のまともさという点では、よい。だが、今の人間は既成の先入観の人間という枠をジャンプ・アウトしなければならない。
沖縄の人には海外移民が多いというのは、その可能性という点ではベースが高いことを示しているのだろう。
だが、今の沖縄人はどうなのだろうか。