◎ドラッグやセックス、君の大好きな何かをやり通す冥想
『風・特殊冥想
ドラッグやセックスから入る冥想である。
あるいは、君の大好きな何かをやり通す冥想。
特殊と名づけたがこの道にふさわしい魂にとっては決して特別なものではない。
いづれにせよ、自我欲の不安からくる快楽
のためのものではない。
君は、ドラッグとかセックスとかの余りに人間的な逃避的な営みを越えて、人間を越えた無限にジャンプ・アウトして再び余りに人間的な世界にもどってきて天命を生きるのだ。
この道には、清く正しい日々の生活訓練が絶対に必要であることを忘れないように。
ミイラ取りがミイラにならないことを祈る。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
まず清く正しい日々の生活ペースが確固としてある。そこで特殊冥想。ドラッグの側(ソーマ・ヨーガ)の代表は、カルロス・カスタネダのシリーズにほぼすべてが尽くされている。
セックスの側の代表といえる著作はないが、ダンテス・ダイジやOSHOバグワンの断片的な記述を見ると、二者は全く別の冥想法を説いている。平たく言えば、ダンテス・ダイジは、不倫関係ではセックス冥想(カーマ・ヨーガ)は成立しないとしているが、OSHOバグワンは、不倫・フリーセックスでもよいとしている。
またOSHOバグワンは、谷オルガズムというものを出してきているが、ダンテス・ダイジの言うところのカーマ・ヨーガとは異なる。
過去、中国房中術書や、カーマスートラなども読んでみたが、あまりはかばかしいものはなかった。
ただダンテス・ダイジ座談で、釈迦はカーマ・ヨーガにトライするチャンスがあったが、あまりの困難さにトライを避けたという話が出てくる(出典は不明)。
ソーマ・ヨーガでは、ティモシー・リアリーや、オルダス・ハックスレーなどが、いろいろドラッグの効果を称揚したりはしているが、ソーマによる求道という点では、徹底していない。その点では、古代イラン・インド時代のソーマ讃歌の方がちゃんとしている。また欧米では、ラリった者の文学もあるが、出来栄えは感心できない。
ラリった者の音楽もビー○○ズ以来多数あるのだろうが、求道につながっているかどうかは別の問題である。
さらにドラッグやセックスが基調の生活となれば、生業も家事も冥想も行わず、快感、感覚刺激を求める日がな寝ころぶのが中心の阿片ジャンキーみたいな生活になる可能性もある。それをミイラ取りがミイラになると戒める。人間から動物レベルに落ちるのだ。
『君の大好きな何かをやり通す冥想』といえば、事上磨錬ということになる。これは元は王陽明の用語だが、現代では毎日の仕事を一生懸命に精密にやることで開悟することを求めるもの。一生懸命に「精密」にやるのだ。そこでは、健全な日常生活を送る中で、それが何の確固たる基盤もなかったという隙間を感得する道でもあるのだろう。一行専心である。ニルヴァーナを求める手法としては、世間的にはこの道は迂遠に見えるし、容易なものではないのだろう。
また仕事以外に、ゲームとかギャンブルとかアビトラージとか相場や楽して簡単に金が儲かる利殖に打ち込む冥想もあるのだろうが、精神を病んだり破産したり家庭が崩壊したりなど、いくらでも隘路は用意されているものだ。だからこのカテゴリーは特殊冥想なのだ。