◎邪境と魔境
(2020-09-19)
宗教と道徳が壊れていく過程といえば、まず万人が神知る至福千年の時代には、自ずと宗教はなくなり、そこから発する道徳というものもなくなる。なぜならば、人の行動に悪は見られず、善行のみ行われるからである。よって、そんな世界を見ている人が現代を見れば、時に「バカどもの生きている狂った世界」というような一見理解不能な表現をとることがあり、一般の常識的社会人は面食らってしまう。
だが宗教と道徳が壊れていく過程といえば、歴史上に有名なのは、ロシア革命の時代と中国の文化大革命の時代か。これは、万人が神知るとは逆方向の時代であって、ともすれば人間の善意、自己犠牲などあらゆる神性に連なる美点をどんどん排除していった時代。
悪い面に注目すれば、具体的には、社会の人々全体が、愛と善意、健全な感情が卑しく頽廃的なものと考え、廉潔であることは悪いことだとされた。行動面では、破壊、特に公共物の破壊は奨励され、道徳的で丁寧な挙措は忌むべきこととして批判されもした。
こうした礼儀正しく道徳的な行為をせず、歪んだことや過去何年も築き上げたものを破壊することは、文化財破壊や親子家族の紐帯を切ることまでよしとする風潮を生んでいった。
中国では文化大革命中の10年(1966-76)は、全国的にそのような時代であったが、流石に人倫に悖りすぎることからやや揺り戻し、それが以後の経済発展の原動力にもなったことは承知しておくべきだろう。その間の政治的な変動については政治好きの人に任せておくとして、中国人は文化大革命によって、礼儀と公衆道徳を失い、親子家族への信頼も薄められ、「善」を行えば、周辺に糾弾され排除される時期が必ず来ることを学んだ。
その結果、中国に見るべき文化財がほとんどなくなって、自然遺産ばかりになっている。
中国の歴史と言えば、ネットでは天安門事件のタブーのことばかり言われるが、中国人の精神にとって、文化大革命の悪夢の10年の方が影響が大きかったのではないか。
ロシアについては、ロシア革命の時期もしかりだが、1991年のソ連崩壊後大半の人が失業したと言われ、自殺者も激増した時代があるのだが、その方が現代ロシア人の精神性に影を落としているのではないだろうか。
いずれにせよ、共産主義国では、神仏の視点から見て「悪を奨励し善を貶める」大衆運動が組織された時期があり、それは共産主義洗脳の一環なのだろうと思うが、大きく国民の精神性と行動にネガティブな影響を与えているように思う。
中国人が単に拝金なだけでなく、道徳無視なところを日本でも見かけることがあると思うが、それはそういう時代背景を過ごしてきた影響があり、かつチベットやウイグル、最近ではモンゴルなど少数民族への抑圧も、その発想の基本に「悪を奨励し善を貶めてもよいのだ」という考え方が仄見える。
日本では知られていないかもしれないが、日本だって、中国から見れば大和族という中国に服属すべき少数民族の一つにしか見られていないという面もあるのだ。
かつてダンテス・ダイジは、文化大革命の中国を邪境と評し、冥想の古典テキスト摩訶止観で天台智顗は、冥想中に魔境あることを示した。
事程(ことほど)左様に、人は神仏を知らねば何が正しくて何が邪なのかはわかるものではないと思う。