◎逆さはりつけの密意
初代ローマ教皇ペトロは、エルサレムでイエスが十字架にかけられる際に、大祭司の家の庭で、女中がペトロを見て「この人もイエスと一緒に居ました。」と証言したのに、ペトロは、「わたしはあの人を知らない。」ととぼけた。
イエスは振り向いてペトロを見つめた。
その朝ペトロは、外に出て激しく泣いた(ルカ伝22章)
そんなみじめで情けないペトロは、以後イエスの第一の高弟として、病気治癒などの超能力を使いまくるなど、それなりの実力を備えていった。
さてローマの有力者の美人妻クサンチッペが夫と同衾しなくなった。その原因がペトロの宣教にあることで、使徒ペトロは、ローマ官憲による捕縛が近づいているという情報を得て、ローマから脱出すべくアッピア街道を急いでいた。
『ペトロが市の門まで来た時、主がローマに入って来られるのを見ました。
主の姿を見て、ペトロは尋ねました。「主よ, ここからどこへ行かれるのですか」。
主はペトロに答えました。「わたしは十字架につけられるためにローマに行く」。
そこでペトロは主に尋ねました。「主よ, 再び十字架につけられるおつもりなのですか」。
主は彼に答えられました。「そうだ、ペトロ, わたしは再び十字架につけられるのだ」。
それを聞いた時、ペトロはわれに返って、主が天に昇っていかれるのを見ました。そして大喜びで主を賛美しながら、ローマに戻っていきました。なぜなら、主が言われた「わたしは十字架につけられる」ということは、ペトロの身に起こるはずのことだったからです。
ペトロ行伝 第35章』
(ローマ教皇歴代誌 P.G.マックスウェル‐スチュアート/著 創元社P12から引用)
当時の人々は、今のような情報氾濫の時代とは異なり、情報が少ないので、見たことや聞いたことがすんなり心に入ってきやすい心性にして、いまのような細かい道徳規範を守らない荒くれた行動パターンの人々だった。
そこに自らを捨ててまで、神に殉ずる伝説を二度までも作りに行ったわけだが、ペトロも、十字架にかかる覚悟ができるまでは時間がかかり、イエスの磔刑以後30年以上を要した。
ペトロは、逆さ磔けとなったが、タロットカードの吊るされた男のように上下逆転せねば大悟覚醒しないと十字架上で述べたとされる(ペトロ行伝 第38章)。
(カラッチ/Quo vadis, Domine)