アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

石鞏一矢で一群のすべての鹿を射れず

2024-08-19 03:45:00 | 達磨の片方の草履

◎弓矢で狙われた三平は胸を開いて受けようとした

 

ある日、猟師だった石鞏は、馬祖大師の庵の前を通りかかって馬祖に問うた。「旦那、わしの鹿の通るのをみただろう。」

馬祖「おぬしは何者だ。」

石鞏「わしは猟師だ。」

馬祖「おぬしは矢を射れるか?」

石鞏「射れるとも。」

馬祖「一矢でどれだけ射る?」

石鞏「一矢で一頭は仕留める。」

馬祖「おぬしはさっぱり射れないな。」

石鞏「旦那はまさか射れまい。」

馬祖「おれの方が射れる。」

石鞏「一矢でどれだけ射る?」

馬祖「一矢で一群は仕留める。」

石鞏「どいつもこいつも生きものなのに、どうして一群が射れるのだ。」

馬祖「おぬしは、そこまでわかっていて、どうして自分を仕留めないのだ。」

石鞏「私に自分を仕留めよと言われると、まったくお手上げです。」

馬祖「この男は、無明煩悩が一度に吹っ切れたわい。」

石鞏は、その場で弓矢をへし折り、刀で髪を切り、馬祖について出家した。

 

後に石鞏は、馬祖にその悟りを認められた。

 

ある日、見込みのありそうな三平義忠がやって来た時、石鞏は、弓に矢をつがえて叫んだ、「箭を見よ。」

三平は、がっと胸を押し開いて受けようとした。

石鞏、「三十年待ち受けて、今日は半箇の聖人を得た。」

 

三平は、悟って後、この時のことについて思い出して「あの時は、してやったりとばかり思ったが、今にして思えば、してやられていたのだな。」と。

 

三平は、いい線いっていたのだが、不徹底だったのだ。けれども、三十年間そういう人すらもなかなか見つかるものではない。

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