◎個人は完全に消滅し神となる
本山博は、お不動さんなどの個別神霊が人間と合一する場合は、人間は死にはしない。その人間も残ったままで、お不動さんも残っている。つまり二つのものが合わさるが、二つのままでいる。これが合一。霊能者は、このパターン。
一方創造神(第六身体アートマン)と個人が一致した場合は、個人は完全に消滅する。個人はその時死なねばならない。大死一番である。創造神とは、場所的神のことであり、有の側のことである。
第七身体は、無の側であり、創造神(場所的神)とは別のことになる。
第七身体(無、ニルヴァーナ)のことを本山博は、絶対者と呼び創造神と区別している。
本山博は、神秘家は、有である神を感得し接し得るが、それは無の側ではないと見ている。さらに有が絶対無に接する時、有は絶対的に無となるので、生死の場所は有であるとしている。
絶対無(ニルヴァーナ)のことは説明できないが、有の側から見た説明をしているわけである。
本山博が大涅槃(マハパリニルヴァーナ)に入ったかどうかはわからないが、大体はわかっているような印象である。
(参照:場所的個としての覚者/本山博/宗教心理出版P22-28)