◎救いと癒し
キリスト教の神殿の眠り (神殿の御籠り)というのは、病人や助けを求める者が教会に泊まり込んで、夢の中で聖人に出会い、願いを叶えてもらおうとすること。
初期キリスト教は、当初この神殿の御籠りの風習に激しく抵抗したものの、すでに四、五世紀には、夢の中で聖人からじかに 指示を受けたり、また聖人と直接的に触れ合うことにより癒しを得ようと、多くの人々が殉教者の墓 や巡礼地を訪ねるようになった。
神殿では、現れた神に心配事や悩みをすべて打ち明け、そして癒しのために必要な指示を受け取る。聖人は心の聖なる領域を示し、魂の隠れた次元への入口を開く。
癒しの夢の話では、大天使ミカエルおよびコンスタンティノープルの殉教者コスマスとダミアヌスに奉献された教会に由来するものが多い。これらの巡礼地の評判を聞きつけ、キリスト教徒でない者も救いと癒しを求めてそこに詣でた。
ところが、異端審問の影響からか、幻視や神秘的体験はただそれだけで即座に悪魔的なものとされ、死をもって罰せられた。
よって神殿の眠りは、中世末期以来もはや行われてはいない。教会がこれを魔術的儀礼として断罪した結果、多くの地で夜教会に入ることすら禁じられるようになったのである。
神殿の眠りとは、高級神霊とのコンタクトを求めるものだが、救いと癒しを求める心の中にいささかも私があってはならない。
高級神霊とのコンタクトを求めても、降臨するのは多くは下級霊であろう。
出口王仁三郎が数千人規模で降霊実験をやったが、ほとんど下級霊だった実例もある。
その点で、教会が神殿の眠りを魔術的儀礼として禁止したのは英断だった。もっともカトリックの聖者認定基準では、若干の奇跡の実行が含められているのは、変な感じである。