◎見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟
白隠は、何度も小悟した。その都度、渾身で感謝、感激と思い上がりを見せるものだから、かえって40代の大悟の印象が淡いものと思われるほどである。
さて、OSHOバグワンが、小悟の説明をしているが、要するに見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟なのだ。曰く、小悟は、その敏感でかそけき花のような性質のために、雑にあるいは乱暴に取り扱うと元に戻ってだめになる。小悟は、得るのは大変だが、壊したり、だめにしたり、捨てるのは簡単である。曰く、小悟は妊娠のようなものだから、注意深く扱わねばならない、と。
これは、至道無難が、
「悟ったと同時にそれを守らせよ。そうすれば悪念が出ることはない。長年この心を養えば道人となる。
悟ったと同時に万事はこれだと教えると、大方悪人になるものである。悟りばかりを守る人は、大方坐禅にとりついて律宗になるものだ。」という所以である。
妊娠を小悟とすれば、出産は大悟。大悟をサマーディと呼ぶが、サマーディは、個人が宇宙全体に逆転する。よって、サマーディにはそれを体験する人間はいない(すでに人間はいない)。OSHOバグワンは、サマーディはその人を通じて全存在が光明を得ることと説明しているが、釈迦はこれを、私が光明を得た日に全存在が光明を得たと説明している。
OSHOバグワンは、サマーディとは、プロティノスの「休息」だとも言っている。万事休す。
OSHOバグワンは、本によっては、一瞥、小悟の話ばかりして、本筋がわからなくなる場合がある。冗長すぎる時があるのだ。
(参照:英知の辞典/OSHO/めるくまーるP244-250)