◎呼吸のすき間を見守る
隙間理論とは、時間とは、〈有〉〈有〉〈有〉とのべつ幕無しに進行しているわけでなく〈有〉〈隙間〉〈有〉〈隙間〉〈有〉と進行しているが、
〈有〉だけが現象であるというもの。
これがヴィパッサナーによると、〈呼気〉〈隙間〉〈吸気〉〈隙間〉〈呼気〉〈隙間〉〈吸気〉〈隙間〉になる。人間は、〈呼気〉で死に、〈吸気〉で再生を繰り返している。ただし、厳密に見ると、これらは、連続しているわけでなく、〈隙間〉で分断している。〈隙間〉には何もない。これぞ色即是空の実態。
OSHOバグワンによると、ヴィパッサナーは、もともとはインド発祥だが、東洋全体に広がったテクニックだという。釈迦がこれで菩提樹下で悟ったテクニック。
以下の引用文は、『新瞑想法入門』からだが、日本語の字面は違うが、元の英語がほぼ同じであろうという内容の記述が、『内なる宇宙の発見』にもある。OSHOバグワンが詳細を丁寧に語ってくれている部分であって、とてもわかりやすい。
『呼吸のすき間を見守る
シヴァいわく
「光り輝く者よ、この体験が二つの息のあいだに現れ出さんことを・・・・・。息が入った後(下降)、まさに上へ向かう直前(外側)――― そこに恩恵がある」
息が入ってくるとき、よく見なさい。息が上へ向かうまえ、それが外向きに変わるまえ、一瞬、または 一瞬のなかのごくわずかな瞬間では、呼吸がなされていない。息が入り、それから、ある地点にきて呼吸が止まる。それからまた、呼吸が出てゆく。息が出てゆくと、再び、一瞬、または一瞬のなかのどこかで呼吸が止まる。それから、呼吸が入ってくる。息の出入りのまえに、呼吸していない瞬間がある。その瞬間、何かが可能だ。
呼吸していないときには世界のなかにいないからだ。いいかね。呼吸をしていなければ死んでいる。あなたは静止しているが、死んでいるのだ。だがその瞬間があまりにも短いため、それに 見入ることはけっしてない。
吸う息は再誕生で、吐く息は死だ。外へ出る息は死と同義で、内へ入る息は生と同義だ。人はそれぞれの息で死に、再び生まれる。その二つのすき間(合い間)は非常に短い。だが、熱心な観察と細心の注意力があれば、そのすき間を感じ取れるだろう。そしたら、それ以外には何も必要ではない。あなたは祝福されている。あなたは知っている。それが起こったのだ。
呼吸を訓練するのではない。呼吸はありのままでよい。なんという単純な技法だろう。それは実に単純にみえる。真理を知るのにこんな単純な技法でよいのだろうか。真理を知るとは、不生不滅のものを知ることだ。つねに変わらずにある永遠の原理を知ることだ。吐く息や、吸う息なら知ることもできる。が、この二つの息の狭間について、人は何も知らない。』
(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P165-166から引用)