◎洞穴で黄金を発見する
ヤコブ・ベーメは、靴屋の職人だったが、後に光明を得た。
『ある日、ぼくは羊の群を追って山にいた。ふと、赤い大きな岩のつみかさなったかげに、地中へおりていく入口があいているのに気がついたぼくは、ふらふらと地下へおりていくと、樽いっぱいにつまった金の山がぼくの目を射るではないか。突然われにかえったぼくは、おそろしさに無我夢中で穴から逃げ出し、あとで友達をさそっては何度もその場所へ行ってみたが、洞窟の入口などかげかたちもなかった。』
(ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元 南原実/〔著〕 哲学書房P26-27から引用)
これは、窮極を黄金として垣間見た。
中国なら洞天福地、壺中天。
『ぼくが親方のうちに丁稚となって仕事を習っていたある日、みなりはいやしいがどことなく威厳のある男がひとり店に入ってきて、靴を一足買いたいといった。ちょうど親方もおかみさんも留守で、ぼくひとり店番をしていたので、どうしていいかわからず困っているのに、男は靴を売れとしつこくいってきかない。それならべらぼうの値段をつけてやれと思って高いことをいうと、男はしりごみするどころか、いいなりの代金を払って靴を買っていってしまった。ヤコブ! 出てきなさい!―――ぼんやりしているぼくの耳にとつぜん呼ぶ声がきこえ、おどろいて外へ出ていってみると、さっきの男が外に立っていたのでした。
会ったこともないこの男が、なぜまたぼくの名前を知っているのか、気をのまれていると、きらきら輝く目をした男はぼくの右手をにぎり、ぼくの目をのぞき込むようにしていうのだった――ヤコブ、お前は、まだ年もいかない小さな子供だけれども、大きくなったら、世界中の人がおどろくような全くち がった人間になるだろう、だから、神さまをうやまい、神さまの言葉を大切にしなさい、なにより、聖書を読むことだ、聖書こそなぐさめを与え、困ったときにはどうしたらよいのか教えてくれる、お前は、やがてみんなから迫害をうけて、貧乏にも苦しむだろう、だが、心配するな、勇気をだして、神さまはいつもそばにいて、お前を守ってくださるにちがいない――こういうと、その男は、ぼくの目をもう一度のぞき込んで、どこかへ消えていってしまったのでした・・・。』
(ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元 南原実/〔著〕 哲学書房P27-28から引用)
威厳のある男は、神使である。こういうイベントを召命と言う。こういう出会いがしばしば一生を決める。
ノストラダムスが、若き無名の修道士に、「後にあなたはローマ教皇になる」とひざまずいて予言したシーンにも似ている。
働き始めの時期は、誰にとっても苦しいものだ。