◎わが父に感謝をこめて(老子狂言)
『わが父に感謝をこめて
どんなに
えらくなったつもりでも
どんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも
父よあなたのいのちなしには
今の私はありえないのです
ありがとうおとうさん
ありがとうすべてのいのち
どんな人でも
心の底では
自分も宇宙も
どうなるものでもないことを
深く深く深く知っています
おとといは
どんよりしたくもり空
きのうは
あたたかく輝く初夏の甘やかさ
きょうは
カラスが鳴いています
おれは
カケヒキとハッタリと鉄面皮の
油ぎった支配者だ!
おれは
一ぷくのタバコの煙に
共感の涙を流す
か弱き浪費家です
なんでもいいんだ
スチャラカチャン!
どうでもいいんだ
スチャラカチャンチャン・・・
チャン!』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
【ありがとうすべてのいのち】
感謝は、人間の立場から神を見る。
【どんな人でも
心の底では
自分も宇宙も
どうなるものでもないことを
深く深く深く知っています】
隙間理論でいけば、人間は平常の一瞬に神を見るし、一生の始めに神を見ているから、神を自分を深く深く深く知っている。
私は、ダンテス・ダイジの父との面識はないが、一度ダンテス・ダイジの実家でダンテス・ダイジと会ったことがある。その部屋の間口10m以上ありそうな壁面にはびっしりと本が詰まっており、蔵書の多さに圧倒されるとともに、その蔵書の半数以上は、彼の実業家の父のものだろうことが想像された。
ダンテス・ダイジは、高校中退だったが、その読書量は半端なものではない。ただ、なんでも手当たり次第読むものでもなく、「的確に学ぶ」ことは、重要であると語っている。
ここにことさらに「わが父に感謝をこめて」と上がっているのは、神人アヴァターラを産みだす父親が見つかることが稀有だからだと思う。
イエスの父大工のヨセフは結構冷遇されているが、神人も父なかりせば世に出ないのである。