◎最深の欲望実現、虚無、解脱
ダンテス・ダイジが、冥想の二つしかない方向性を語る。
表現はとても硬いが、要するに冥想テーマは、一つには各人の最もふさわしい欲望を生きるということ。もう一つは、「何も無い」ということを逃げずに生きるということ。
『冥想には、二つのテーマしか存在しない。一つは欲念相続の当体としての自己自身を最高の情熱と充足の中に生きようとすることであり、そして今一つの冥想の極意は、「何も無い」そのことの絶対を絶対自体で覚知することである。
冥想には、あらゆる人間をしてその人自身の最も根本的欲望を知らしめ、そしてその欲望を実現する力がある。
しかも、冥想は、あらゆる欲望が最終的に欲望そのものからの解脱を目指す時に、その純粋冥想の極点で、解脱即涅槃を成就せしめるのである。
どのような豊かな幸福もそれがこの地上のものである限り必ず終息する時がくる。その時、人間は、人間であるがゆえの虚無を見ねばならなくなる。そして純粋冥想はその虚無と人間とをもろともに寂滅せしめる。
そして あらゆる生命達は、再び地上に帰 ってくるだろう。有と無あるいは空・仮・中の三法などの教説は すべて煩悩即菩提の永遠の神秘を説こうとする試みである。』
(ダンテス・ダイジの断簡より引用)
冥想の神秘的な力により、人はまず最深の根源的欲望に気づき実現する。ところが、そこで人は虚無を感じてしまう。
次に人は、あらゆる欲望が最終的に欲望そのものからの解脱を目指すことになるのだが、冥想により、マーヤ(迷い)とはニルヴァーナ(悟り)のことであったことに気づくことになる。
そのことを書いているわけだが、とても生硬な表現であって、わかりにくいかもしれない。