◎日月合体のプロセス
(2018-07-23)
昨夜は、戸外の気温が遂に30度を下回らずに終わった。25度以上は熱帯夜というが、
来るところまで来ている感がある。
火力文明の末路は、風水火の威力を目の当たりにするのだろうと思う。海水面の上昇は、埋め立て地や海浜都市の放棄につながっていくことは、科学者が予想していることであり、似非オカルティストの大予言などではない。
太乙金華宗旨は、気を回していく初めはこうなって、その次はこうなってなどという初歩や中間段階の説明はほとんどない。
いい線を行っているケースに関してのメタファーと、最終段階についての解説ばかりであり、ちょっとかじりたいアマチュアに呈示できる情報とすれば、これが限度と思える。
OSHOバグワンの「黄金の華の秘密」は、英訳で読んでいるようなので、(易経・八卦の素養のない人が訳したみたいで)変な英訳の部分もあるようだが、彼の実地の経験に即した解説であり、参考になる部分も多い。
『逍遥訣
第一句
天心(タオ/玉清)は、魂の逍遥する秘訣を留め下ろしてきた。
第二句
「無為にして為す」の教えとは、精神の働きを集中させて、サハスラーラ・チャクラ(気の穴・金華)に入ることである。』
呂洞賓の解説では、この第一句、二句については、金華の作用の全容である、と。
『第三句
六月に、にわかに白い雪が飛ぶのを見る。
第四句
真夜中に、日輪が輝くのを見る。』
呂洞賓の解説では、この句は日月が相互に交差することを示している、と。
太乙金華宗旨では、目光と耳光を言う。目光は外部であり離火、耳光は内部であり坎水とみれば、離火は、乾陽が純陽に変化し、坎水は、坎陽も上騰すれば純陽に変化するということか。
この火水が合体して、最初はもやもやもくもくと浮いたり沈んだり、恍惚として太虚が無量であるようであって、いわゆる雲千山に満つる状態。
火水の合体の次の段階は、行ったり来たりする痕跡もないままに浮いたり沈んだりしても自覚はなく、脈拍停止し、気も止まる。これが合体の本番である。これをいわゆる月が満水を涵(ひた)すという。
これは肉体死の様態である。
更に呂洞賓は、この冥々の時に突然天心が一たび動き出すとする。これが死からの復活。
『六月に、にわかに白い雪』とは、離卦中の陰がまさに陰の極限である坤に帰っていこうとする動き。
一方『真夜中に、日輪が輝く』とは、坎卦中の陽がまさに陽の極限である乾に帰っていこうとする動き。
ここで『坎を取り去って離を填(うず)める』とは、坎陽も乾陽に転じて純陽・金華となることをいうか。