◎ジェイド・タブレット-05-01
◎青春期以降の水平の道-1
素直に自分の生き方を考える人間にとって、青春期の二大テーマは、異性への憧憬と神秘主義への関心である。
時期的には、高校生から二十代前半にかけてのことであって、大学受験勉強では、おそらく誰もが無尽蔵の記憶力を手に入れたいと願うことが一度はあるものではないだろうか。そうした中で、空海も実習したという虚空蔵求聞持法にチャレンジしてみたいと思うものの、何か月もかかることを知りあきらめたりする。また西洋にも古くから記憶術の伝統があることを知り、試そうと思いかけるが、実は精神そのものを結構深いレベルでハードディスクみたいにすることと知り、躊躇したりする。
そうしたご都合主義的な神仏への関心を持つ一方で、三歳の全能感とその喪失感から来るところの求道の志やみがたく、知らず知らず神聖な真正の信仰というものには常に興味を持ち続けるものだろう。
一方で肉体の成長に伴い、青春期の主たる関心事の一半は、毎度異性のことである。中学生以上はほとんどスマホを持つ時代になり、閲覧はエロ系が多く、SNSで語られる話題は異性の話題になるのは自然の流れでもある。しかし実際にセックスの極みというものを追求して行けば、女性的な自我の充足は男性と比較して容易に起こり、その一方で男性の性的快感というものは畢竟大したことはないものであって、背後にある征服欲や権力欲の充足の方が問題であることに気づくものである。
ところがこの時代は、こうした単純な現実認識にすら容易にたどりつけないようなマインド・コントロールが、政治、経済、教育、商業、文化、宗教などほぼあらゆるシーンで行われている。いわゆる洗脳情報は何年かたてば消えてしまうが、消える前に繰り返すことで、嘘も真実と信じ込ませる洗脳が永続される仕組がある。
マインド・コントロールは、昔はナチスや広告会社や軍部や宗教が得意だったが、いまやスーパー・コンビニの買い物から特殊詐欺にまで応用されるとんでもない時代になった。こうした精神的な悪条件下で、神仏への関心と異性への興味を持っているのが現代の青春期の現実だと思う。
青春期は、高校、大学と進むにつれ、自分と似たタイプの友人、知り合いができるもの。運がよければ、悟った人、聖者、正師、魂の伴侶にも巡り合う。
行動範囲の狭い思春期では思いもかけない一生の出会いが青春期にはあるものだ。その出会いは人物とは限らず、冥想道、武道・芸道 (書道、茶道、華道、香道、歌道、柔道、剣道、合気道、舞踊、ダンスなど) 、仕事など一つに打ち込んでそれを究める『道』との出会いであることもある。
一生の方向性は、よく25歳までに決まるとも言うが、青春期までに人生の聖と俗両面の方向性が決まってしまうというのは、自分が当事者の時期はあまり意識しなかったが、後で振り返ってみるとそのとおりだと思う。
だからライフ・ステージ別の窮極に至る道を考える場合のライフ・ステージの区切りは、青春期以降が最後となる。理想的な求道ステップは、思春期で見仏・見神・見性を経て、青春期で大悟徹底、神人合一、壮年時代は、その悟りを持って生きていくというもの。
言い古された言葉だが青春期の可能性は大きい。