唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

華州防禦使 鎭国軍節度使 その3

2012-08-22 10:01:38 | Weblog
・その後光啓3年[887年]より宦官田令孜麾下の韓建が刺史となり善政を布いた。
建は軍人ながら書を読み廷臣としての儀礼も身につけていた。
・新書方鎮表では鎭国軍節度使は光化元年[898年]であるが、建は大順元年には
鎭国節度使と称していて、華州が行在となった時の形式的な表記といえる。
また光化3年[900年]に廃止されたという記述も誤りであり、その後も天復元年
[901年]に建が朱全忠に降り忠武節度使に移されるまでは存在している。
・建は令孜の命に従い大順元年[890年]河東李克用を攻めて敗北し、景福元年
[892年]には鳳翔李茂貞や邠寧王行瑜と連携して唐朝を威迫し、乾寧2年[895年]
には李克用の侵攻に降り、乾寧3年の茂貞の侵攻による昭宗皇帝の京師逃亡時には
華州に迎え入れた。その地位を利用して太傅にいたり、貢納を私して蓄財し、
諸王を殺戮、親軍を解散するなど専権を極めたが、光化元年には昭宗皇帝を京師に戻した。
その際に匡国軍節度使(同州)を併合した。
・天復元年朱全忠が西進するとこれに降った。
・その後は全忠麾下が刺史となり後梁にいたった。