・福建は少数民族が居住し、山地が多くリアス式海岸が続き海賊等の跳梁もある地域である。
・開元21年[733年]福州に福建経略使[福建泉漳潮五州]が置かれた。
・上元元年[760年]安史の乱の影響により節度使に昇格されたが直接は乱の影響はなかった。
・大暦6年節度使は廃され都団練観察使となった。
・代々文官が赴任していたが、武官呉詵[李晟の部下]が赴任すると、貞元4年[788年]その専横から軍乱が起こった。
・貧窮の地であるため牙軍も小規模であり海賊と治安対策のものであった。
・観察使には空海に関わる閻濟美[永貞元年~元和2年]、宦官の墓参りで出世した杜宣猷[咸通2~6]がいる。
・唐末には流賊黄巣が浙東から嶺東へ移動し、福建も荒掠していった。
・中和4年[884年]將陳厳が自立し、観察使鄭鎰を逐った。管轄各州はそれそれ割拠していった。
・大順2年[891年]厳が卒すると、一族の范暉が嗣いだが、泉州による王潮[元は光州から流れてきた賊]はこれを攻撃した。
・景福2年[893年]潮は福州を陥し、五代の閩王国の基を築いた。
・乾寧4年[897年]潮は卒し、甥の審知が嗣ぎ、威武軍節度の號を得た
・開元21年[733年]福州に福建経略使[福建泉漳潮五州]が置かれた。
・上元元年[760年]安史の乱の影響により節度使に昇格されたが直接は乱の影響はなかった。
・大暦6年節度使は廃され都団練観察使となった。
・代々文官が赴任していたが、武官呉詵[李晟の部下]が赴任すると、貞元4年[788年]その専横から軍乱が起こった。
・貧窮の地であるため牙軍も小規模であり海賊と治安対策のものであった。
・観察使には空海に関わる閻濟美[永貞元年~元和2年]、宦官の墓参りで出世した杜宣猷[咸通2~6]がいる。
・唐末には流賊黄巣が浙東から嶺東へ移動し、福建も荒掠していった。
・中和4年[884年]將陳厳が自立し、観察使鄭鎰を逐った。管轄各州はそれそれ割拠していった。
・大順2年[891年]厳が卒すると、一族の范暉が嗣いだが、泉州による王潮[元は光州から流れてきた賊]はこれを攻撃した。
・景福2年[893年]潮は福州を陥し、五代の閩王国の基を築いた。
・乾寧4年[897年]潮は卒し、甥の審知が嗣ぎ、威武軍節度の號を得た