唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

武昌軍節度使 その3

2012-10-15 14:48:09 | Weblog
・中和4年[884年]流賊に荒略される中、観察使崔紹が卒し、杭州刺史を武将董昌に逐われた
路審中は募兵し鄂州を乗っ取った。
・光啓2年[886年]審中もまた流賊の攻撃を受けて敗走し、牙將杜洪は岳州を取って自立して
いたが後に入り武昌軍節度使を称した。
・ところが留守の岳州は賊進思に乗っ取られるなどその支配権は弱体であった。
・洪の統治は長く続くが、周辺地域への侵攻をこころざすわけでもなく、管轄諸州の直轄下を
めざすわけでもない消極的なものであり、乾寧4年[897年]より淮南楊行密の侵攻を受け続けた。
・洪は朱全忠に附き延命を図ったが、天祐2年[905年]正月鄂州は陥落し殺された。鄂州は淮南
の支配下に入った。
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