韋思謙。本名仁約,字思謙。
鄭州陽武人
音類が則天の父の諱に類するので迎合して変更。
進士に合格する。
應城令より監察御史。
中書令褚遂良の不正を糾弾し左遷させる。
しかし遂良が復帰し清水令に出される。
左肅機兼檢校沛王府長史皇甫公義が起用し倉曹参軍に。
侍御史・右司郎中に進む。
永淳初,尚書左丞・御史大夫など諌官を歴任して活躍する。
堂々とした態度で王公といえども遠慮しなかった。
則天臨朝し宗正卿=司屬卿に転じる。
光宅元年肅政[御史]台が左右に分離し、右肅政大夫となる。
垂拱初,博昌縣男。鳳閣鸞台同中書門下三品として宰相に。
二年蘇良嗣に代わり納言。
三年老齢として致仕を赦される。加太中大夫。
永昌元年九月卒。贈幽州都督。
子の承慶と嗣立は宰相となった。
[宰相履歴]
垂拱元年2月右肅政臺御史大夫同鳳閣鸞臺三品~2年6月守納言
~3年3月太中大夫致仕
鄭州陽武人
音類が則天の父の諱に類するので迎合して変更。
進士に合格する。
應城令より監察御史。
中書令褚遂良の不正を糾弾し左遷させる。
しかし遂良が復帰し清水令に出される。
左肅機兼檢校沛王府長史皇甫公義が起用し倉曹参軍に。
侍御史・右司郎中に進む。
永淳初,尚書左丞・御史大夫など諌官を歴任して活躍する。
堂々とした態度で王公といえども遠慮しなかった。
則天臨朝し宗正卿=司屬卿に転じる。
光宅元年肅政[御史]台が左右に分離し、右肅政大夫となる。
垂拱初,博昌縣男。鳳閣鸞台同中書門下三品として宰相に。
二年蘇良嗣に代わり納言。
三年老齢として致仕を赦される。加太中大夫。
永昌元年九月卒。贈幽州都督。
子の承慶と嗣立は宰相となった。
[宰相履歴]
垂拱元年2月右肅政臺御史大夫同鳳閣鸞臺三品~2年6月守納言
~3年3月太中大夫致仕