唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

耀州[ようしゅう]節度使の歴史

2018-10-23 16:39:43 | Weblog
◎.天祐三年[906]置義勝軍節度使,領耀、鼎二州

鳳翔李茂貞の領域であり配下の将に配分するために自作した方鎭です、養子で群盗出身の李彥韜が任ぜられました、彼は唐朝の墓陵の盗掘で有名でした。
耀州は京兆府華原県、鼎州は京兆府美原県です。
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隴州[ろうしゅう]節度使の歴史

2018-10-23 16:38:29 | Weblog
隴州は鳳翔の西北にあり吐蕃の領域と接しています。

①.建中四年[783]以隴州置奉義軍節度使,尋廢
十月、涇原軍の反乱に始まる朱泚の乱により、鳳翔節度使の属州である隴州にも朱泚の兵が来襲しました。
留後であった判官の韋皐は従わず防衛に努めました。
十一月、唐朝はこれを支援するため隴州に奉義軍を置き,韋皐を節度使としました。
その後李懷光の来援により危機を脱しました。
「尋廃」とは興元元年[784]八月のことで、韋皐は左金吾大将軍になり隴州は鳳翔節度に戻されました。

②.大中五年[851]罷領隴州,以隴州置防禦使,領黃頭軍使
隣接の吐蕃に内乱が置き影響が及ぶ事を懸念したのでしょう。

③.中和三年[883]隴州防禦使增京甸神勇軍使

④.天復元年[901]升隴州防禦使為保勝軍節度使
鳳翔李茂貞の領域になり、配下の将に配分するために自作した方鎭でしょう、養子の李繼岌が任ぜられました。
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