唐代の宦官跋扈は玄宗皇帝の時代から始まります。則天皇帝までの時代は軍の監軍も宦官を用いず、重用もしませんでした。女好きで遊び人の玄宗がどんどん宦官を活用したわけですが、まだ能力をみて用いていました。その後肅宗や代宗皇帝は宦官[李輔國.程元振.魚朝恩]を重用し跋扈させましたが、宦官が組織的に支配するようになるのは、德宗皇帝が禁軍[神策軍]支配を宦官に委ねた時からです。そして文宗皇帝の時代には宦官優位の態勢が築かれ、皇帝の擁立も彼らの専権事項にになります。そして僖宗・昭宗皇帝の時代には唐朝=宦官[田令孜・楊復恭]という状況になり、天祐元年に朱全忠・崔胤による宦官絶滅ということになります。そして唐朝も終わります。
皇帝が宦官に依存するようになったのは、玄宗皇帝が諸王とその子孫を地方官に赴任させず、十王宅・百孫院に囲い込み宦官に世話をさせたことから始まります。皇族は生まれたときから宦官の世話を受け、成長するのです。宰相・官僚とは疎遠で宦官に家族的な親しみを感じるのは当然です。
有力宦官の列傳を随時掲載します。まずは人肉食の楊思勗から。
皇帝が宦官に依存するようになったのは、玄宗皇帝が諸王とその子孫を地方官に赴任させず、十王宅・百孫院に囲い込み宦官に世話をさせたことから始まります。皇族は生まれたときから宦官の世話を受け、成長するのです。宰相・官僚とは疎遠で宦官に家族的な親しみを感じるのは当然です。
有力宦官の列傳を随時掲載します。まずは人肉食の楊思勗から。