隋と唐初には、皇帝が出す詔勅の起草を行うという役職から、非常に強い権限を持ち、実質的な宰相職となっていた。唐の太宗の治世では、中書令は参議朝政などの名で国政に参与するようになり、同中書門下三品もしくは同中書門下平章事を兼任しない宰相には実質的権限がなかった。
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唐初、高祖即位時、蕭瑀が内史令となり、武德4年に中書令と改称された。その当時から強い権限があった。
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中書令・侍中はそれ自体が宰相職であり、中書門下三品・同中書門下平章事を兼任する必要はない、玄宗時以降の尚書僕射との混同である。唐中期以降も同平章事→侍中→中書令と宰相が昇進するコースになっている。
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唐初、高祖即位時、蕭瑀が内史令となり、武德4年に中書令と改称された。その当時から強い権限があった。
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中書令・侍中はそれ自体が宰相職であり、中書門下三品・同中書門下平章事を兼任する必要はない、玄宗時以降の尚書僕射との混同である。唐中期以降も同平章事→侍中→中書令と宰相が昇進するコースになっている。