唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

笑う宰相      [宦官魚朝恩の驕慢と宰相元載]

2025-03-08 10:00:00 | Weblog

笑う宰相      [宦官魚朝恩の驕慢と宰相元載]
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大暦年間、観軍容使として禁軍を握っていた宦官魚朝恩は、代宗皇帝を圧迫し専権を極めていた。
宦官であるにもかかわらず多少の学才があることが自慢の彼は、おのれを誇示したくてたまらなかった。
そこで皇帝に強要して、先例を無視して唯一の国立大学(日本でなら東大)である国子監を監督する地位についた。
それのみならず「今度国子監で四書の講義をする」「聴講したいものは全員集まれ」と布告した。官僚達は宦官ごときの講義など受けたくもないが、行かないとどのような害をうけるかわからないのでこぞって出席した。
講堂の満員盛況をみて朝恩は満悦であった。
朝恩の単調な講義が始ると、居眠りや私語が続出してきた。
それとみとった朝恩は時政の話題に切り替えた。
途端に官僚達は静まりかえり注目してきた。
得意になった朝恩は宰相達の政策を皮肉を込めてあげつらっていった。
官僚達はさらに緊張し、聞き耳を立て、臨席する宰相達の顔色を窺った。
調子にのった朝恩は、次々と皮肉を重ねていった。
激怒した宰相王縉は床を踏みならして中座していった。
朝恩はニヤニヤしながらそれを見送った。
もう一人の宰相元載はとみると、笑みをうかべて平然とすわっていた。
「怒るのは当然だろう、単純な縉は少しも恐ろしくない、載はなかなか測りがたい」
講義が終わり帰途、朝恩は側近に言った。

*******背景*******

大暦三年の記事である。当時、主力の朔方軍を握る郭子儀と、執政する宰相元載と、禁軍や宮中を握る宦官魚朝恩が唐朝を支配し、代宗皇帝には実権がなかった。
外部にいる子儀はともかく、京師では載と朝恩の暗闘が激しかった。もう一人の宰相王縉[有名な詩人維の弟]は載に従属していた。朝恩は禁軍をにぎり、宮中へも兵を従えて入り代宗を圧迫し私財を貯め込んでいた。
宦官を軽侮する官僚達に自己の学才を示し、李輔國のように宰相に任命されることを目標にしていたのだ。
元載は権謀に通じた人物で、朝恩の挑発には乗らず、兵権を持たないために代宗とともに慎重に穴を掘っており、五年に失脚させ殺害した。


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