宣宗は長子[懿宗]の資質が不満で、蘷王滋の即位を望んでいましたが、長幼の順や傍系から即位した地位の不安定さから決断ができませんでした。そのため親任する宦官達[樞密使王歸長、馬公儒、宣徽南院使王居方,右軍中尉王茂玄]に擁立を頼んでいました。しかし亡くなってしまい、相談に関与しなかった左軍中尉王宗實が正統性を主張し実力で懿宗を擁立しました。宰相達はなにも関与することができません。懿宗はやはり無能でしたが、宣宗時代に抑えられていた宦官達は小粒で、財を貪るのには熱心ですが、政権を左右しようという覇気には欠けていました。そのため宦官と宰相達とのせめぎあいが続きました。
14懿宗宰相史 [リンク]
13宣宗宰相史 [リンク]
12武宗宰相史 [リンク]
11文宗宰相史 [リンク]
10穆宗敬宗宰相史 [リンク]
09順宗憲宗宰相史 [リンク]
08德宗宰相史 [リンク]
07睿宗代宗宗宰相史 [リンク]
06玄宗宰相史 [リンク]
05中宗睿宗宰相史 [リンク]
04則天宰相史 [リンク]
03高宗宰相史 [リンク]
02.太宗宰相史 [リンク]
01.高祖宰相史 [リンク]
唐後半の反乱年表[xls]
唐史データ集[xls]
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