山口多聞司令・三船敏郎。
加来止夫艦長・田崎潤。
先任参謀・池部良、通信参謀・宝田明、航空参謀・三橋達也、そして飛行長・平田昭彦。
こんなイケメンだらけの聯合艦隊があるかあっ!
上層部だけじゃないよ。
鶴田浩二の隊長のもとに激戦をを戦う精鋭のパイロットは、主人公の偵察士官夏木陽介、
夏木とは兵学校のクラスメート戦闘機乗りの佐藤充、
そして飛行機に乗り込んでいるのがちらっと見えるだけの中丸忠雄。
何とチョイ役で赤城の参謀長に上原謙ときたもんだ。
さりげなく元男前の安部徹も、士官室に一シーンだけ出現しているし。
推定イケメン率90パーセント。
会議の場面なんか見ると「これは男の宝塚?」ってくらい男前だらけ。
男前過ぎてさながら全員から水か滴るがごとし。
海軍だからそれも納得・・・って、ちょっと違うか。
という、東宝の総力を結集して作られたと思われる戦争映画、1960年作品。
どれくらい総力かというと、主人公の郷里の校長先生がエノケン、婚約者の父が志村喬、
小林桂樹が戦務参謀、作戦参謀の加東大介とのサラリーマンコンビ復活。
なんと山本五十六はまったく五十六っぽくない藤田進!
藤田進は一瞬しか出番の無いこの役のために、わざわざ髪を五十六カットの坊主にしています。
これぞ役者魂・・・・ってこれもちょっと違うか。
真珠湾攻撃に参加し、快進撃を続ける聯合艦隊の強さに酔いしれるも、
あのミッドウェーの戦いで痛恨の敗北を知る、偵察士官、北見中尉(夏木)。
この若い士官の独白とともにストーリーは展開します。
純粋な若い青年士官が戦いに身を投じる姿、そして、愛する者たちとの別れが、
開戦から戦況の転換点ともなったミッドウェー海戦までの戦いとともに描かれます。
この主人公の経歴は、兵学校66期の藤田怡与蔵少佐と同じです。
開戦時、65期は大尉に進級していましたから、この北見、松浦中尉(佐藤)は、
兵学校66期という設定であるわけですね。
圧倒的な勝利を収めた真珠湾攻撃。
その後の南方戦線でも連戦連勝の敵なし(と思われた)聯合艦隊。
将兵の意気軒昂ぶりはとどまるところを知らず、
空母飛龍艦内では元気に各部屋の宴会が行われています。
士官室。
「友成(大尉)のワイフはナイスだそうじゃないか」
などと、比較的上品な話題で盛り上がる士官室は、第二種軍装での宴会。
皆さん、もう少しリラックスしてもよろしいのではないでしょうか。
まあ、この映画の監督は軍服フェチの松林宗恵。
池部良と鶴田浩二の「二種ツーショット」は、明らかに「観客サービス」であると見た。
因みにこの友成大尉とは、ヨークタウンに被弾後自爆し、これを沈没せしめたと言われる
友永丈市大尉(海兵59)がモデル。
この映画を、友永大尉の遺された「ナイスなワイフ」は、遺児を連れて鑑賞し、
「あれがお父さんよ」と言ったとか言わなかったとか・・・・。
因みに「ナイス」「手荒く」この海軍の流行り言葉は、例えば北見中尉の婚約者の写真を見た
松浦中尉が「手荒くナイスだな!」(すごい美人だな)と言ったりするシーンで使われています。
ガンルーム。
主人公の北見中尉は「北見中尉、五尺の身体を祖国に捧げん!皆はどうだ!」
と檄を飛ばし、クラスメート松岡中尉と共に皆盛りあがります。
見たわけでも聞いたわけでもありませんが、艦船の中における若手士官の宴会は、
戦争に勝っているときは実際にこんな雰囲気だったのかなあ、と思わせます。(涙)
下士官になると、士官室でテーブルに並んでいた洋酒が酒びんになり、グラスが茶碗になり、
歌う唄もなぜか「てるてる坊主」になったりします。
熱唱しているのは飛鷹乗組の菊池哲生上飛曹がモデルだと思いますがどうでしょう。
そして、問題のシーン。
何が問題なのかって?それは少し後に譲ります。
下士官以上が宴会をしているというのに、甲板でぐるぐる軍歌行進をさせられている兵隊。
これはこれなりにレクリエーションの一環であったりもするのでしょうが・・。
歌は「大東亜戦争海軍の歌」。
この唄声を、同じ甲板で、山口司令と加来艦長がワインなどを飲みながら、
折り椅子に座ってしみじみと聴くわけです。
そのときの二人の会話。
「機動部隊にとってこの南方作戦は大きな道草じゃなかったのかな」
「どうしてですか」
「我々がやらねばならん敵がいなかったじゃないか」
「しかし、獅子はウサギを倒すにも全力を尽くすと言います」
「加来君、真珠湾でアメリカの戦艦は叩いた。しかし空母はそのままだ。
我々にとって正面の敵はあくまでもアメリカの空母だからな」
この後、山口司令は、山本五十六との会話でこの疑問を口にしますが、
これまでの作戦は全て南方の油田を確保するためであったことや、
工業力で圧倒的に劣る日本が戦争を長引かせれば確実に負ける、
したがってミッドウェーで相手を叩いたうえで早期講和を図り戦争を終結させる、
という山本司令の言葉に、納得します。
さて、一方、美しい幼馴染の啓子と結婚式を挙げるために故郷に帰っていた北見中尉。
まさに今から祝言というそのとき、鎮守府から電報が!
そう、ミッドウェー出撃のための召集がかかったのです。
母が転げるように床の間から杯を持ってきて「固めの杯だけでも・・・」と懇願するのに、
北見中尉ったら「そんな形式的なことはいい」と断り、ただ美しい花嫁に「母を頼む」と一言。
衆目の中、愛し合う男女はお互いを抱きしめることもなく、ただ、握手を・・・・・。(涙)
このときの花嫁が美しい!
幼馴染、啓子を演じるのはこの映画で引退したという上原美佐。
黒澤監督に「野性と気品の同居する異様な美しさ」とまで絶賛され、
「隠し砦の三悪人」で三船敏郎と共演までしたというのに、この女優さんは
「わたしには才能が無い」
といって、この映画を最後に引退してしまうのです。
どうよこの潔さ。
美貌だけで才能の片鱗もないのに女優と呼ばれている有象無象の芸能人とやらは、
この際上原美佐の爪の垢でも煎じて飲めばいいと思うの。
それを思ってみると、この映画における彼女の清冽な美しさの輝きは、
まるで燃え尽きる直前の蝋燭の炎のような光を放っているように見えるではありませんか。
(気のせいかな)
ミッドウェー海戦については、おそらくこれを読んでいるほどの皆さんであればその経緯を
良くご存じだと思いますので、省略しますが(おい)、ただ、赤城の南雲長官が
空母二隻を伴う敵艦隊があらわれたとき、
「戦闘機の援護の無いハダカの爆撃隊など出すわけにはいかん。
陛下よりお預かりしている将兵をむざむざ無駄死にさすことになる。
正攻法で行こう」
第二次攻撃隊は艦船攻撃の兵装に変更、これを聞いた山口司令が、
何とも言えない苦渋の表情を浮かべるのが印象的でした。
その後、敵は空母から雲霞のように飛んできて、それを避けるためのかじ取りで、
離艦中の飛行機が海にボチャンと落ちてしまったりします。
その後ご存じのとおり加賀、赤城、蒼龍が次々と被弾。
赤城は処分命令により沈没します。
「飛龍は健在なり」
そう打電した山口司令ですが、少ない飛行機で薄暮攻撃をかけようとしたそのとき、
すでに敵爆撃機は上空にあり、飛龍に襲いかかってきました。
ほとんど為すすべもなくやられる飛龍。
艦底で逃げ場も無くなった機関科、整備科(平田昭彦の飛行長含む)そして、
せっかく命を取りとめて医務室で身を横たえている負傷者たちも。
そして、艦橋で身体をくくりつけ、艦と運命を共にする覚悟の山口司令と加来艦長。
これらの人々がいまだに乗っている飛龍に向かって、味方の魚雷が発射されます。
魚雷がその艦体を貫くまでの飛龍に、わずかな、そして妙に静かな最期の静寂が訪れます。
人気の無い操舵室。皆でただ上を見つめる機関科の将兵たち。
そして医務室で静かに微笑みを交わす軍医と松浦中尉。
・・・・・・・・・・・。
ここで問題のシーンの続きです。
この後皆さんもご存じのように飛龍は海軍自身の手で海の底に葬られます。
海底に沈んだ飛龍の艦橋が映しだされ、そこには体を縛られたままの山口司令と加来艦長の
遺体が見えるのですが、ここでこういう声が聞こえてくるのです。
「これからもみんな勇ましく死んで、こういう墓場が太平洋に増えるんでしょうなあ」
「もう増やしたくないがなあ」
つまり、死んだばかりの二人の魂がまだそこに留まっていて会話をしていると。
このシーンは、この映画を見るものにとって評価の真っ二つに分かれるところです。
どちらかというと「馬鹿馬鹿しい」「オカルトか?」とクサす現実派の非難のほうが若干多いかな、
と思われるわけですが、いや、わたしはここ、評価しますよ。高くね。
そこで先ほどの「問題のシーン」、つまり、この二人が甲板で軍歌行進を聞きながら会話する、
このシーンをリフレインしてみましょう。
そのとき兵たちが軍歌行進で歌っていたのが「大東亜戦争海軍の歌」。
この歌詞はこのようなものです。
見よ檣頭(しょうとう)に 思ひ出の
Z旗高く 翻へる
時こそ来れ 令一下
ああ 十二月八日朝
星条旗まづ 破れたり
巨艦裂けたり 沈みたり
二
あの日旅順の 閉塞に
命捧げた 父祖の血を
継いで潜つた 真珠湾
ああ 一億は みな泣けり
還らぬ五隻 九柱の
玉と砕けし 軍神(いくさがみ)
実はこの海底の「霊の会話シーン」。
よくよく耳を澄まさないと聴こえないのですが、
二人の会話の後ろに幽かにこの同じ曲が聴こえているではありませんか。
つまり・・・・、
太平洋の海底に沈んだ飛龍には、この二人の魂だけではなく、
艦と運命を共にした将兵たちの想念もまた、留まったままになっているのだと。
そして、かれらはやはり以前と同じようにこの歌を歌い続けている・・・。
そういうことなのだと、わたしは解釈しました。
そう考えれば、このシーンにはいまだに太平洋の海の底でそのまま眠っている、
幾万の敵味方の兵士たちへの鎮魂の想いがこめられていると言えませんでしょうか。
戦いで生き残った北見中尉は、ミッドウェーの敗戦の真相を漏えいさせないために
他の生存した将兵と共に世間との連絡を遮断され隔離されたあげく、沖縄に出撃していきます。
「本土の最後の見納めに旋回しましょう」という部下の具申を、
自分が生きていることを妻と母にさえ知らせずに、最後の戦いに臨む北見中尉は
「その必要無し」と切り捨てます。
沈みゆく艦隊と級友の葬送を見届けた北見中尉の、すでに魂が現世に無いかにも見える
その絶望に満ちた覚悟の表情が、あまりにも哀しいラストシーンでした。