R・アッテンボロー監督の「素晴らしき戦争」をご覧になったことがおありでしょうか。
舞台の上でレビューの歌手が
「今私たちが欲しいのは兵隊さんよ!兵隊さんとならいいことしてあげる!
私たちのために立ちあがって!戦争に行くのよ!」
と色気たっぷりに(死語?)客席に呼びかけ、不純な動機で立ちあがった青年たちがそのまま
契約書にサイン、その日から戦争へ。
戦争ミュージカルならではの場面ですが、ここで入営を決意する青年たちは、決して貧困層でも
労働階級でもなく、プチブルの、学生がほとんどでした。
第一次大戦の開戦は、当初ヨーロッパでは熱狂的に歓迎され、貴族はノブレス・オブリージュ
からすすんで、そして一般市民、なかでも学生たちは続々と志願して戦場に赴きました。
第二次大戦下における我が日本のように、負けてきたからしかたなく引っ張り出された学徒とは、
彼らの自覚の点からして全く違っていたのです。
しかし、心ならずも戦場に赴いた学徒たちが、必ずしも軍や国の言う「大義」「聖戦」という言葉を
信奉していなかったか、と言われると、今日「わだつみの声」に見える声がすべてではないと
言うところから話をしなくてはなりません。
わだつみの声は、戦没学生たちの手記を編纂したものです。
しかしながらこの本には当初から大幅な遺書からの削除、追加つまり捏造された部分が、
遺族との間に訴訟問題まで引き起こしています。
戦後一貫して「反体制、反天皇、そして反靖国」の旗印を揚げてきた「わだつみ会」ですが、
つまりはいつの間にか「遺族」ではなく「そういった思想活動」の温床になっていたというわけです。
手記を改竄された遺族たちは別に「わだつみ遺族の会」を立ち上げたようですが、
なにやらこのあたりのきな臭い話は、また別の日に。
もうお分かりでしょうが、この映画においても、当時の学生たちが学問の世界から追われた、
ということや、モンテーニュの思想から死を理解しようとする様は描かれますが、
当時の男子がその教育と社会的規範からごく自然に持っていた「天皇観」や「護国思想」
そういったものは、徹底的に無視されます。
そして、この映画で無視されたこの部分こそが、つまり「きけ、わだつみの声」の遺書から
意図的に削除された部分でもあるのです。
初版の「きけ、わだつみの声」には、立花隆のいう上記のような「左側からの歴史の改ざん」
のほか、「東大出身の兵士だから特別に戦死を惜しむということか」という究極の学歴差別
に対する批判があります。
簡単に言うと、「東大生の命は、無学の輩の命より大事なのか」といった反発なのですが、
もともとこれを世に送る側の意図として「ノブレス・オブリージュとしての学徒の犠牲」を、
広く一般大衆に知らしめたいということがあったわけです。
しかし、この「ノブレス・オブリージュ」という言葉が学徒出兵にあてはまるかという前提は、
少なくとも「高貴でない側」即ち庶民の側から認めてもらわなくては成立しません。
その点、日本のように、立身出世の自由が誰にでも与えられている社会において、
高学歴であることイコール「高貴」であるとは、今も昔も誰も信じない前提でありましょう。
そして彼らが決して「高貴な義務を持つ者」ではなかった、ということの証左と思われるのが、
この高学歴兵士たちの間には、彼らの中での「厳格な学歴差別」があったという現実です。
この映画「きけ、わだつみの声」にも、どこの学校出身かが、非常に細かく提示され、また、
その学校の持つイメージが出演人物の特徴ともなっています。
まず、三高(京都大学)出身の青地。
東大の牧(見習い士官)と違い、まだ軍曹。階級にして二階級差がついています。
牧は、予備士官学校で将校教育を受け、今の見習い期間が終われば、予備士官というところ。
青地はなぜか、この甲種幹部学生ではなく、乙種(原隊で訓練を受け、軍曹になる)であった
という設定です。
これは、青地が出来が悪かったということではなく、彼の「やる気の無さ」「体制反発」を
このような形で表現しているということができます。
皆を診察し、誰を置き去りにするか決める野々村軍医は慶應大学出身。
歩くことができない早稲田出身の秋山二等兵に
「野球場のスタンドでもしかしたら会ってるな」などと言います。
左翼活動で投獄させられた東大の元活動家、河西。
彼はなんと、鶏泥棒の罪にかこつけて陸士卒の中尉に背後から射殺されてしまいます。
「こんな強烈な色彩ばかり見ていると、セザンヌの柔らかいあの色が懐かしくなる。
日本の山が、川が・・・」
とつぶやく室田一等兵は美術学校生。
幹部候補生試験には「絵ばかり書いていて落ちました」と軍医に説明します。
木村見習士官は動けなくなって隊におきざりにされることになったとき、
「出陣学徒としてもとより生還は期していませんでした。
たとえ聖戦の半ばに、ここで斃れるとも、魂魄留まって戦場の山野を駆け巡ります。
どうぞご安心ください」
そして、絶望する他の皆に戦陣訓を朗してみせます。
ジャングルに手りゅう弾とともに残された病兵たちは一人ずつ爆死していきますが、
この師範学校の学生は、いざとなると手りゅう弾を投げ捨ててしまいます。
死にきれずに呻く木村に
「チョッ、とんだ戦陣訓だ」と呟いて自分の手りゅう弾を投げつけ殺してやる早稲田の秋山。
「われわれは絞るような死を経験するんだ」
皆においていかれたときこのように呟く彼は、早稲田らしく、最後まで批判精神に富む人間に、
そしてこの師範学校の学生が今一つ「さえない」人間に描かれている点にご注目ください。
真面目に幹部試験を受けてそれに合格し、青地や秋山のようにあからさまな反発を持たず
軍に入ったらしいこの学生は、この隊の学徒の中でも愚直なイメージを負わされています。
師範学校では官費で勉強することができたため、貧困層の学業優秀な子弟が進む傾向にあり、
少なくとも慶応や早稲田の学生とは違う家庭環境の学生が多くいたこともあるでしょうが、
かれらを「亜インテリ」と揶揄し、下に見る傾向は当時色濃く在ったとされます。
ナベツネ、渡邊恒雄は「軍隊時代、俺が殴られたのは東大だったからだ」と言いきっています。
「一番殴ったのは早稲田だ」
なんと、学徒の中でこんな「平時の仕返し」が行われていたという証言ではないですか。
インテリたちの間でも厳然としたヒエラルキーが戦場に持ちこまれ、
その、より下のものが、この「疑似デモクラティック」のカオスの中で、
千載一遇のチャンスとばかり日頃の怨嗟を噴出させていたということです。
このようなうっぷん晴らしに汲々としているのは、無学な庶民だけではなかったのです。
この映画で美しく助け合っているように見える学徒兵たち。
しかしこの設定が現実なら、実際は東大の見習士官は内心、幹部試験に落ちた京大生を蔑み、
早稲田は愚直な師範学校出を嘲り、師範学校ですら「絵を描いているだけで学徒か」と
美大生を下に見ていた可能性だってあるわけです。
そして、階級は下の京大生に向かって「軍人勅諭をその帝大の優秀な頭脳で唱えてみろよ」
と苛めていたかもしれません。
学徒たちの美しく悲しい戦死を描きながら、微妙に差別的な描写について、
何か手掛かりは無いかともう一度観直してみたところ、
後援 日本戦没者学生記念会 と並んで、
東京大学消費生活協同組合
映画サークル東大支部
全日本学生自治会総連合
というなかなかに香ばしい名前が・・・・・・。
なるほどなあ。
こういうバックグラウンドを見せられてしまうと、学問途中で無念の死を遂げた学生たちの死を、
本当に悼むつもりでやっているのか?とつい疑いの眼差しで映画を観てしまうので、
タイトルに続いてこの字幕を出したのは、戦略としては失敗だったと思います。
せっかく、それ自体は戦争の悲惨をこれでもかと訴える、いい映画なのに。