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花火大会で名刺交換する人達

2012-08-28 | お出かけ

大曲花火大会観覧記、第二弾です。
夢の話と花火の映像画像ほど、実際見ていない者にとってどうでもいい物事は
世の中にあるまいと思いますが、カール・ツァイスレンズ搭載のカメラで撮った花火の写真を
淡々とあげつつ、語ってみようと思います。

ところで、花火の写真って難しいですよね。
先代のカメラでは「花火モード」にしてもなお、花火らしきものすら撮れた記憶がございません。
なんでも、花火を撮るモードというのはシャッターが4秒前後開く設定になっているそうで、
三脚も使わずに手で構えて写真を撮ること自体かなり「無謀」なのだとか。
この事実を、花火大会から帰ってきて知った時の脱力感は大変なものでした。
何と言ってもカール・ツァイスのレンズですから、何もしなくてもちゃんとした写真が撮れるはず、
だったのですが、何百枚と撮ったうち、手ぶれのないのはごくわずか。
そりゃそうだ、あまりにも花火が近すぎて、上を見上げていたら首が痛くなったため、
早い時点で升席のシートに寝たままシャッターを切ったりしていたのですから。

 

その中でも「まあまあこれは許せる」という画像も、煙がかかってしまったものが多数。
実はご招待下さった地元の方によると、今年は「風が無さ過ぎた」ということです。
勿論風が強いと駄目ですが、花火は打ち上げた後、煙が風で消えてくれないとダメなんですね。
この大会は競技会でもあるので、参加者にとっては大変な問題です。

特に、スポンサー花火はこれでもかと派手な玉が上げられますから、終わった後空は煙で真っ白。
その中地味な競技の規定花火を上げる花火師さんはなかなか辛いものがあります。
この順番はくじで決まるそうですが、「スポンサーの後は秋田の花火師」と決まっているのだとか。

 (これも煙で残念)

さて、この日の70万人の見物客、そのうち、最前列の灰かぶりならぬ、言わば
「消しズミ被り席」の、さらにど真ん中。
それがエリス中尉の見学した升席でした。
そして、それが花火大会に大口スポンサーとして出資している某企業の関係者席であることも、
昨日説明させていただきました。

何らかの形で出資している企業団体個人は数あれど、文句なしに最前列の升席を陣取れるのは、
つまり何百万というお金を「スポンサー花火」に出資した企業団体だけです。

 なんかルドンの絵みたいですね。

スポンサー花火は全部で9部。
納豆のヤマダフーズ、NTTドコモ、秋田魁新聞社、コカコーラボトリング、JA、東北電力などなど。

いずれも地場の、力を持つ企業ばかりです。
それらがだいたい二社で一つのプログラムをスポンサードするのですが、
コンテスト参加の制限ありの花火と違ってスポンサー花火は何しろ豪勢です。

エリス中尉のチーム?である団体は、その中でも特別のプログラムに出資しており、
去年の最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞した花火師が手掛けました。
無粋ではありますが、興味がある方のためにこっそりお教えすると、
このお値段は二団体が各々300万円ずつ、合計600万円也のプログラムだそうです。
おそらく、スポンサー花火のなかでも最も高額の出資だったのではないでしょうか。



わずか数分で消しズミとなる花火に600万円。
もったいないと言えばもったいないですが、粋と言えばこんな粋なお金使い方もないわけで。
一瞬にして夜空に咲く花は皆の感動と賞賛を集め、何も残さず消えてしまうのですから。

      

せっかくまともな写真が撮れても、わたしの座っていた席の上空には一本の太い線が貼られ、
時々画像にそれが入ってきてしまっています。

我々の隣の升席に、三々五々人が集まりだしました。
「どうもどうも」が始まったのでそちらをみると、升席の中で皆立ち上がり、名刺交換しています。

「日本だなあ~」

花火大会の升席で初対面の同じ会社の社員同士が名刺交換。
あまりにも日本的な光景に、思わず目頭が熱くなりました。(←嘘)




さて、隣で盛んに名刺交換をしていた団体ですが、やはりスポンサー花火をあげた大企業で、
アナウンスがその会社の名前を読んだとたん

「うおおおおおおー!」

と皆が大盛り上がり。
またそこの花火が無茶苦茶派手なんだ。
コンテスト参加チームの中には「あまりお金がかけられなかったのかなあ」
と思わず台所事情までを心配してしまうような節約したものがありましたが、
これが大東亜戦争における我が日本とすれば、この企業のそれはまるでアメリカ軍。
(喩えが悪いかな)
これでもかと大型花火の連続で、クライマックスには花火が多すぎて何が何だか、
みたいなことになってしまっていました。
しかし、何はともあれ圧倒的な物量作戦に観衆は大うけ。
そして、隣の升席はもう興奮のるつぼ。
終わってからもう一度会社名をコールするのですが、皆で

「ド・○・モ!ド・○・モ!ド・○・モ!ド・○・モ!」

我々もそちらに向かってエールを送り、我々のスポンサー花火のときには

「いえええ~ぃ!」

因みに我々の団体は三文字の名前でもコールするほど有名でもなかったので、これだけです。
さすればそれを聞いた隣の席からこっちに向かって

「いえーぃ!」

と拍手とエールが送られ、ちょっとした親睦的な交歓会の様相を呈しています。
ジャパニーズ・ビジネスマンたちの所属団体への帰属意識と忠誠のアツさは、
2012年現在も健在である、と胸が熱くなりました。(←わりと本当)



これなど、手ブレだけが問題の「惜しい写真」なのですが、意匠としてイケてません?
花火の写真としてはダメですが。
まるでデュエル・マスターズのカードの
「地獄の邪眼ゴーゴン」(仮名)みたいです。

さて、戦いすんで夜が明けて。
我々のホテルはJRの秋田に近いシティホテルだったのですが、朝食を取りに現われた人々、
どの人もこの人も互いに仕事モードでお互いに挨拶を交わしています。

うーむ。
日本では花火大会は「仕事」なんですね。

例えばリオのカーニバル、リオの人々はどんな貧しい人々もその一日のために晴れ着を作り、
後は「死んで暮らす」(という歌の歌詞があった)というほどの文字通り「ハレ」の祭なのだそうですが、
この祭りにブラジルの大企業が公にも私にもかかわって、スポンサーには特別待遇があり、
会社ぐるみでお得意を接待したりするなんて話はあるのでしょうか。

ブラジル人に聞いたわけではないので断言はしませんが、無いのではないでしょうか。

この大曲の花火大会が始まったのは、前回も言いましたが明治20年。
当然のことながら最初は競技会などではなく、地元の花火師だけの間で打ち上げは行われ、
せいぜい歩いていける距離の村民が楽しみにしていたくらいの規模だったでしょう。
回を重ねるにつれだんだん評判が評判を呼んで観客が増えてきたのでしょうが、
それでも今日のような企業団体の宣伝や接待に使われるような形とはほど遠かったはず。

勿論、花火師に払われる報酬は寄付などで賄われたからには、それなりの
「特権階級」もいたのでしょうが、升席に座れたり、前列に陣取ったり、ということが
「個人では不可能」というような弱肉強食の現状とまではいかなかったのではないでしょうか。

誤解の無いように申し上げておきますが、わたしはこのような日本の体質、風潮に対し、
苦言を呈したり、嘆息したりするつもりは全くございません。
その大企業のご威光の恩恵に溺れるくらい浴して特等席で見物したエリス中尉には勿論、
そんなことを言う資格もありはしません。

ただ、昔々、近所の人々が浴衣姿でうちわを片手に三々五々集まってきて、
適当にそのあたりの草むらに座って見物したような花火大会は、
もう今後この国では行われないのかなあと思うと、何やら少し残念な気がするだけでございます。