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元海幕長とお会いした

2012-08-25 | 自衛隊

海上自衛隊4万5千人のトップに立つ16人の海将、さらにその頂点に立つのが海将たる幕僚長。
帝国海軍で申し上げると海軍大将です。
その海幕長に拝謁を受け談笑をしさらに隣の席でお食事をするという光栄に恵まれたエリス中尉です。

求めよさらば与えられん。引き寄せの法則。あんなこといいなできたらいいな。
色々申しますが、「そうなればいいな」と思っていることはあまり度はずれなものでない限り、
必ず叶うものだと今回またもや実感いたしました。

写真の元海幕長は、つい最近までその職にあられた方で、退職後は製鉄会社の顧問として、
また、元海自トップとして社会に講演等を通じて発信をするなどの活躍をなさっている方です。

今回、たくさんの方の繋がりから信じられないほどのご縁をいただき、この方のお話を伺い、
さらに親しく懇談するという栄誉に浴して参りました。

これをここでお話せずにはいられましょうか。

 

サンフランシスコを発った日、空港の太平洋側は厚い雲で覆われていました。
上空で撮った雲海の写真。
本題とは全く関係ないのですが、まるで波のような雲をお見せしたくて。



そしてお盆の海外旅行ラッシュもまだまだ続く羽田空港に降り立ったエリス中尉です。
飛行機から一歩外に出るなりまといつくような湿気を含む空気にげんなりし、
さらにカートでエレベーターに乗るのも列を作らなければならない人の多さにうんざり。
(しかし、あんな状況でも皆譲り合ったりする民度。日本に帰ってきたことを二重に実感しました)

一日でも長く快適なロスアルトスで、リスを撮りながら暮らしていたいのは山々でしたが、
どうしても帰らなければならない用事というものが日本でわたしを待っていたのでございます。
それがこの元提督との懇談会。
帰国の翌日、新幹線で西日本のとある地方都市に向かいました。
新幹線駅にあるホテルがその会場です。

実は休職中と言いながらエリス中尉、ときどき仕事をしています。
といっても昔の仕事関係や知り合いからの依頼といった特殊な場合に限りですが。
今回のクライアントは元々TOの知り合いです。
その方が提督を囲む会の企画立案をされていたわけですが、
それになぜエリス中尉が参加することになったのか。

きっかけはTOの携帯を偶然その方が見たことでした。
先日わたしはは3度目、TOは最初となる、江田島の術科学校、旧兵学校見学訪問のとき、
かねてから「五省」の文言に感服していたTOは、売店でお土産にこのシールを購入して、
それを携帯電話に貼っていたのです。

その方は目ざとく「五省」を見つけました。
なぜかというに、その方も大変な海軍、海自ファンだったのです。

「どうしてそのようなものを携帯に貼っておられるのですか?」

何も知らなければ目にも留めない五省、もし知り合ったばかりの人の携帯にこれが貼ってあったら、
わたしでも同じことを聴くでしょう。

「いや実は私の連れ合い(←エリス中尉)がですね」

海軍ファンのその方はとたんにTOに向かって熱心に色々と話をなさったのですが、
驚いたことにTOは、
「いやー、話がはずみますね!」
と向こう様が感激するくらいには話を合わせることができた、というのです。

「こういうのも門前の小僧、ってやつかなあ」
「・・・ふっ」
「え、何?なんか可笑しい?」
「日本軍に空軍は無かったのかとか聞いていたのにね~、昔は」
「あ、あれは」

とはいえわたしだって威張る相手はせいぜいTOくらい、というレベルの賎学の身であることは
いつも自覚しております。
下には下がいる、つまりそういうことでございます。

何しろそのような「同好の志」のよしみでお仕事をいただき、さらに「興味がおありでしたら」
と、ご自分が企画された元海幕長の講演会に誘ってくださったのです。
深夜帰国して次の日新幹線で西日本まで日帰り、深夜帰宅。
こんなハードなスケジュール、もしこれが元は元でも
「菅元総理のお話を聞いてお食事」とかであったら、
「何か一言言ってやるために出席してやってもいいけど、やっぱりしんどいからパス」
と言下に言い放つでしょう。


というわけで、ホテルの宴会場に早く到着し、その方と仕事の打ち合わせを行い、
それがすんだ頃、まず元海幕長の講演会が始まりました。



演題は「中国の海洋進出と我が国の対応」。
主催の方が「まさに今、時を得た演題であろうかと思われます」と挨拶されました。

内容についてはまたこれ以降くわしくアップしたいと思っていますので、割愛します。
まずお話したいのが、海上幕僚長という職にあった方についての印象です。

海幕長ともなると公人ですから、ウィキペディアに経歴は勿論顔写真も掲載されています。
この方は2008年から2010年の夏までの二年間、海上幕僚長の職にあられました。
以前、護衛艦「さざなみ」に乗艦したとき、その感想の中で、海自の出世について書いたことを
ここに今一度掲載いたします。

二佐には幹部自衛官は全員昇進しますが、一佐になれるのは同期のうち半分弱。
すでにここで半分がふるい落とされます。
そして、海将補、旧軍の少将になれるのはクラスの数人のみ。
つまり旧軍で言うところの「恩賜の短剣組」くらいしか海将補になれない、ということです。

そして海将、旧軍の中将も、昔と同じくここまでいけるのはその中でも一握り。
何しろ海上自衛隊全体(4万5千人)の中で海将は16人しかいないのです。

そして、海幕長たる海将はその中のたった一人。
これほどの激戦を勝ち抜いてきてその座についた人物です。
きっと武人としての気迫、将器を体現するようなただならぬ威容を湛えているに違いない。

・・・とまで大仰なことを思ったわけではありませんが(おい)、普通の方でないことだけは確実。
興味深々です。


元提督は皆の拍手の中演壇に上がりました。
背広のせいか、写真に見るよりソフトで柔和な雰囲気です。
しかし、おそらく要請も多く、このような演題で何度か講演をしておられるであろうとはいえ、
途中、主催者が「席にお座りになってください」と声を掛けたのに、最後まで立ったまま、
自分でプロジェクタの映像を変えながら、ポインタを使って現在の国際情勢、
ことに中国との関係について明快で分かりやすい解説で現状を紐解いていかれました。

講演終了後、お食事会へと突入。
何と、主催者の方が、くじ引きで同じテーブルにして下さったうえ(つまりインチキ?)
「いっちゃえいっちゃえ!」とけしかけて真横に座らせて下さったのです。

御挨拶の上、名刺もいただきましたよ! 


検索にかからないように、本文中にはご氏名を書くのを控えておりますが、この方です。
ウィキペディアには、米海軍のアドミラルと共に写っている写真が載っています。
この写真でてっきり小柄な方かと思っていたのですが、大変長身でいらっしゃいました。



JAVAの具合が悪く「お絵かきツール」の顔ぼかし機能が使えないので写真をそのまま使用。
何分小心者なので顔バレしない程度に小さくしておりますが、左、元提督、右、エリス中尉。
携帯の待ち受けに入れておきたいツーショット写真です。(入れませんが)
因みにエリス中尉は身長160センチで、この時は8センチのヒールを履いていますから、
それでこの身長差ということは、提督は180センチ以上ありますね。
ウィキの写真の米海軍組は、いったいどんな巨漢なのだろう・・・・・。

因みにこの写真をご覧になった方はお分かりになると思いますが、2010年当時、提督は60歳。
にも拘わらず、全く緩みのない胴周りのスマートさを見よ!

先日呉で、掃海艇の艦長であった元自衛官の方とお会いしたのですが、その方が
80歳超えでありながらお腹が出ているどころか毎日朝から肉OK、毎日朝からテニスをこなし、
無茶苦茶パワフルな毎日を送っておられたように、自衛官というのは若い時からの鍛錬で
体を動かすのが当然という意識なのでしょうか。
それとも貫録の年齢になってもお腹を出してはいけない決まりでもあるのかしら。

おまけに、元提督はこの年代の方なのに(と言っては失礼ですが)、脚が長い!そして細い!
茶色の背広を着ておられますが、これ、日本人で似合う人は少ないと思います。私見ですが。
すらりとした長身で姿勢が良く銀髪であるので着こなしておられるように思いました。

隣の席でしたからお話もかなりさせていただきましたし、
この方の一挙手一足をさりげなく(というかガン見状態で)観察していたのですが、
感じたことはなんといっても謙虚さを感じさせる控えめなその雰囲気。

幕僚長という役職はいろんな意味で八方を注意深く防御するような慎重さが必要と思われます。
マスコミが手ぐすね引いて自衛隊の落ち度を待っているような我が国において、
平時有事にかかわらず指示発言行動その全てをそつなくこなすだけでも大変な能力が
要求されるような気がします。

この海幕長が就任の初会見で、こんなことがありました。

海幕長は就任の前に起きた不祥事、事故が
「(海自が)新しく生まれ変わるための試金石と言ってもいい」
という発言をしたのですが、記者が「それはイージス艦『あたご』と漁船の衝突事故も含むのか」
と聞き、それに対して「そうだ」と答えたことに、海自の広報室が敏感に反応したのです。
そして「死者の出ている事故が『試金石』だ」というのは問題発言だとし自ら教訓と訂正したのです。
この図式は、どう見ても「叩かれる前に身内がいち早く動いた、ということでしょう。
マスコミのバッシングは押さえられたかもしれませんが、幕僚長の発言を直後に訂正するという
非常に「よろしくない」事態になったことは確かです。

「試金石」はこの場合「事件事故をいかに処理するかが今後の自衛隊のあり方の試金石になる」
という解釈をするならば全く矛盾のない言葉の選択であると思うのですが、
自衛隊自身が、マスコミの「鵜の目鷹の目の言葉狩り」に委縮し、
先んじて新幕僚長をないがしろにするようなことになってしまったとは言えないでしょうか。

思うにこの件の全ての問題は自衛隊というものを取り巻くメディアのあり方からきています。

ついでにいつもの繰りごとになってしまいますが、マスメディアという名の「恣意な権力」を監視し、
指導する公的な第三者機関がこの国には一刻も早く必要なのではないでしょうか。


とにかく、つまりそういうことのあった海幕長、その方が、この方なのでございます。

エリス中尉に一挙手一投足をアツーく監視されたとしてもそれは単なるブログネタ探しの
ミーハー行為に過ぎませんから(たぶん)、全く気にされることは無いでしょうが、
このようなマスコミに一挙手一投足を監視されるのは実に二年の任期中、
終始緊張を強いられることでもあっただろうと、お察し申し上げた次第です。

世が世なら海軍大将と呼ばれる方ですが、軍人というよりむしろ静の面を湛えた物腰、
控えめなもの言い、そしてわたしごときの話にすら深く肯き理解しようとする様子は、
二年間の重責を担う間、防御として身についた職業的なものというよりは、
むしろこの方が生まれ持った本質的なものからきているのではないか、という気がしました。

提督はパイロット出身です。
成績優秀な「大将候補」はフネを勧められる、というのは昔だけの話だったのでしょうか。

「海上自衛隊に入ったのに、フネに弱かったので飛行機乗りになりました」

これが空に進んだ理由ですが、どんなにフネに弱くても、一週間船酔いしまくって、
体の中から何も無くなってしまうような地獄を経験すれば、どんな人間も慣れてしまうもの。
提督もそのようにおっしゃっていましたし、「それだけではありませんが」と断ってもおられました。

「あれは講演用の、言わば掴みというものだと思う」
TOに言うと、
「じゃ本当の理由はなんだったんだろう」

そりゃあ勿論、空に憧れたからに決まってるじゃないですか。



この日講演で提督から聞いた中国の海洋進出の現実問題について、
また別の日にまとめてお話したいと思います。