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1948年、ロンドンオリンピックとレパルス撃沈

2012-08-22 | 海軍

オリンピックの政治利用という五輪憲章に違反して問題になっている韓国サッカーチーム。
最初こそ韓国国内世論は「よくやった」「金メダルより価値がある」
と、竹島について領有権を主張するプラカードを掲げた選手を英雄扱いしていたものの、
とたんにIOCから「待った」が入り、五輪憲章違反でメダルはく奪の危険性が出てくると、

「あの選手が嬉しさのあまり度を失った」
(その後チーム全員がそのカードを国旗に乗せて行進)

「会場に投げ込まれたプラカードを拾った」
(客席から用意されたプラカードを受け取っている写真あり)

という苦しい言い訳を始め、果ては全ての原因は日本にある、日本が苦情を申し立てたせいだ、
という「全ての原因は日本」というおきまりのコースを突き進んでいるようです。

さらには、沙汰を待つ状態でありながらIOCに、アポイントなしで押しかけ、

日本がこれまでしてきた数々の悪行と、ドクト(竹島)は我が国のものであるという
歴史的正当性を縷々説明しようとした」

が、誰もいなかったため受付の人間に説明して帰って来たといいますから、
事情を知った世界中のまともな国はこぞって、

「いや、どちらに正当性があるかが問題なのではなく、
そういう領土問題があるということをオリンピックで主張することに問題があるんだが」

と首をかしげていると思われます。



究極の「オリンピックの政治利用」は、ご存じ1936年のベルリン・オリンピックで、
これは完全なヒトラーとナチスの国威発揚政治ショーと成り果てたわけですが、
それに続くはずの1940年の東京オリンピックは、日中戦争の影響から日本政府自らの判断で
返上され、幻の大会となりました。

冒頭画像はこのときに作られていた東京大会のポスターです。
埴輪のモチーフが、何か暗さに満ちているように見えるのは結果を知っているからでしょうか。

さて、今回オリンピックはロンドンで行われましたが、ご存じのようにこれは初めてではありません。
1948年、世界大戦が終わってその記憶も生々しい三年後、ロンドン大会が開催されました。


その大会に、敗戦国である日本とドイツは参加を拒否されていたのをご存知でしょうか。


モスクワ大会のときや、ロスアンゼルス大会のときのような「ボイコット」ではありません。
開催側からの、拒否です。

その理由は、日本については

1937年、戦争を理由に自国開催を返上した

ドイツについては

1939年にポーランド侵攻し、東京大会の代替地であるヘルシンキ大会を開催不可能にした


ということになっているわけですが、ちょっと待った(笑)

ポーランドに侵攻したのはドイツだけですか?違いますね?
いつも機に乗じてこういうときには強気に出てくるソ連だって、やってますね?

それに、敗戦国だから、と言うならイタリアはどうなんですか?
ムッソリーニがガソリンスタンドにぶら下げられたから、もう「反省済み」ってことですか?


全く、この大国のジャイアニズムと自国に都合のいい「マイルール」ぶりには、呆れますわ。
東京裁判が
「同じ戦争中のルール違反も、連合国は戦争だからOK,日本がやると戦犯」
という「マイルール」に貫かれていたように、ここでも大国イギリスの恣意な判断基準が
丸見えであることは皆さんにももうおわかりですね?

つまり、ドイツに対しては「ベルリンオリンピックの政治ショー」の懲罰としての参加禁止だったのです。
では日本は?

表向きの理由は「自国での開催返上」ですが、これもどうなんでしょうか。

念願の東京大会をヘルシンキと争って勝ち取ったものの、日本国内では中国戦線の長期化から、
「もしオリンピックをすることになったら、満州の選手は参加させるのか」
などといった問題から、陸軍の「陸軍内から選手を出すことへの懸念」など、反対意見が噴出し、
最終的には国内の足並みが揃わないまま大会辞退を決めました。

しかし、それだけが理由ではなく、このとき中国に大きな利権を持っていたアメリカのIOC委員が、
東京大会のボイコットを強く訴えたうえ辞任すると言う騒ぎを起こしているのです。

つまり、日本が東京大会を返上したから、というのは全く理由の根本ではなかったということです。

実は、このとき日本の参加を拒否したのはIOCではなくイギリスそのもので、その理由が
帝国海軍がマレー沖海戦で撃沈したプリンス・オブ・ウェールズとレパルスの遺恨であったという説があるのです。


1941年12月10日、開戦直後のマレー半島東方沖で、我が海軍航空部隊とイギリス海軍が
戦闘を行い、制海権確保のために派遣した英海軍の戦艦二隻を日本海軍航空部隊が沈めたうえ、
英国東洋艦隊を二時間で壊滅させました。

このことは、戦史のうえで「大鑑巨砲主義の終焉」を示す出来事とされているのですが、
それだけではなく、このことは
「黄色い猿と侮っていた日本人が、ヨーロッパ人の科学の粋を集めた戦艦を沈めてしまった」
ということにより大きな意味合いを持っていました。

プリンス・オブ・ウェールズに特別の愛着を持っていたらしいウィンストン・チャーチルの

「戦争全体を通してあのような衝撃を自分に与えたことはほかにない」

という回顧録の言葉は有名です。

しかも、「敵兵を救助せよ!」の著者である惠隆之介氏によると・・・・、

ところが英国海軍東洋艦隊将兵を感動させることが起こる。
帝国海軍航空隊は戦いの雌雄が決するや、指揮官機の信号で一切の攻撃を中止、
英国護衛駆逐艦による救助活動を一切妨害しなかったばかりか、
母港シンガポールへ残存部隊が帰還するまで上空より護衛したのである。

確かに、駆逐艦「エレクトラ」が571名、「ヴァンパイア」がテナント艦長と従軍記者を含む
225名を救助されたのは、英海軍が日本海軍をこれ以降「偉大な海軍」と認めるようになった、
実に大きなできごとであったようです。

さすがは武士道の継承者である帝国海軍。と言いたいところですが、

ちょっと待った(笑)

鹿島航空隊所属、レパルスを雷撃した一式陸攻乗り組みの須藤朔著の「マレー沖海戦」によると、
このとき海軍が何もしなかったのは英軍による美しい誤解とは少し事情が異なり、
実は日本軍はこの時すでに魚雷や爆弾を使いはたしており、さらに燃料が少なかったからだ、
ということで、それを聞いた元ウェールズ乗り組みの機関長をがっかりさせたらしいのですが、

・・・・じゃ、燃料が少ないのになぜ護衛をしたのか?

不思議なのはそれなのですが、
その真偽については本題ではないので今は脇に置きます。


問題は、この戦艦の撃沈を根に持って、
イギリスは日本のロンドンオリンピックの参加を拒否した、という「裏の理由」の真偽です。

戦闘の数日後、第二次攻撃隊長だった壱岐春記海軍大尉は両艦の沈没した海域に飛び、
機上から海面に花束を投下して英海軍将兵の敢闘に対し敬意を表しました。

このようなエピソードと、皆が理由はどうあれ賞賛した海軍の「武士道」のおかげで、
イギリス海軍は、ショックではあったがそれを以て真珠湾のように遺恨をもったというわけでも
なかったと、全体的には言えるかと思います。

その遺恨は果たしてオリンピックの日本拒否の理由なのか。

わたしは、全く個人的な意見ながら、この理由もまた「裏の表向きの理由」だと思っています。

マレー海沖海戦の結果がもたらしたのは大鑑巨砲主義の終焉だけではありません。
なんといっても、歴史家アーノルド・トインビーのいうところの

「(その結果は)特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、
この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、
1967年のヴェトナムに明らかである。」
(ウィキペディア)

に尽きるでしょう。

つまり、大きな声では言えないものの「欧米諸国の絶対的権力が支配する世界の終了」
それが、人道的理由から自分たちの側より自発的になされたものではなく、
日本という本来被支配側の有色人種の代表によって、しかも武力によってもたらされたということが、
権力を奪われた当の大国イギリスにとって許しがたかったからではないのでしょうか。

政治的、歴史的遺恨を、一見このような公正に見えなくもない理由を被せて
堂々と晴らしてみせるというあたりが、長年弱肉強食の大国主義で揉まれた「Great Britain」。
伊達に自分で「偉大な」などと名乗っているわけではありません。
同じ「大」を自分で国名に付けてしまう恥ずかしい国でも、
あまりにも馬鹿馬鹿しく単純ですぐに底が割れ、突っ込みどころ満載の今回の韓国の件などとは、

「所詮黒さの桁が違うわい」

って思ってしまうのはわたしだけでしょうか。

もちろん今回の韓国の行為に何の抒情酌量の余地もなく、もしIOCが何の罰も与えなけれは、
オリンピックは領土問題を抱えている国が次々と確信犯的アピールをする場になることは確実。
ここはきっちりと落とし前をつけて、再発防止に努めていただきたいものです。


イギリスがかつてオリンピックの日本参加を拒否したのだって、表向きは
「世界平和を乱した国への懲罰」だったのですから。