フランス革命記念日に「困ったフランス人」というような視点でかれらを語ってしまいました。
しかし、あれは決してフランス人を非難しているわけではございません。
どこの民族にもある「民族特性」を、淡々とお話しただけで、勿論その美点や優秀性は、
今さら述べるまでもなく、歴史に刻まれた彼らの業績に輝かしく証明されているのですから。
かつて多数の偉大な思想家を生み出してきたフランス。
一般のフランス人がひねくれ者で意地悪で、というのも、裏を返せば、
「深く思索する」ことが批判精神となり他人に対する距離の取り方となって、
このような性質として現われている、という解釈もできるわけです。
日本とフランスには歴史的な共通点、しかも重要な共通点があります。
それは、フランス革命と明治維新によって、この両国は国民国家になったということです。
フランス革命が搾取階級の打倒であったのに対し、明治維新によって消滅した武士階級は、
決して搾取する階級ではなかったという違いこそありますが。
国民国家ならではの文化の形成を為してきた日本とフランスですが、文化は勿論、
思想的にも、特に近年お互い影響を与えあってきたといってもいいでしょう。
昔、フランス人女性が書いた、「写真で見た特攻隊の青年が彼女の心の中に住みついて、
彼女はそのまなざしから逃れることのできない心理的圧迫を感じる」という、
いかにもフランス文学らしい小説を読んだことがあります。
もうその小説の作者も題名も忘れてしまったのですが、日本の特攻がフランス人に与えた
感銘の、いかに強烈であったかが覗えるような小説でした。
以前、ブログを始めたころに書いたアニメ「アイアン・ジャイアント」についての項で、
「アイアン・ジャイアントの自己犠牲に見られる、特攻精神」についてお話しました。
このときに、思想家アンドレ・マルローが特攻について語った言葉を挙げたのですが、
これをもう一度お読みください。
日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにも変え難いものを得た。
これは、世界のどんな国も 真似のできない特別特攻隊である。
ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、
結局は権力を手に入れるための行動であった。
日本の特別特攻隊員たちは ファナチックだったろうか。断じて違う。
彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、
逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。
人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
フランス人で日本文化の研究者、モーリス・パンゲ著、「自死の日本史」を読みました。
原題は La mort volontaire au Japon、つまり「日本の自発的な死」です。
この本は、万葉集に見られる殉死のような自死に始まるこの国の
「自発的な選びとる死」が如何なる精神風土のうえに形成されてきたのか、
切腹、心中、殉死の歴史をひもとき、日本人の選びとる死について解き明かさんとする書です。
そのなかでもパンゲは大東亜戦争時、特攻によって命を失った日本の若者たちを、
このように語っています。
彼らは強制され、誘惑され、洗脳されたのでもなかった。
彼らの自由は少しも損なわれてはいない。
彼らは国が死に瀕しているのを見、そして心を決めたのだ。
この死は なるほど国家の手で組織されたものではあったが、
しかし それを選んだのは彼らであり、
選んだ以上、彼らは日一日と その死を意志し、それを誇りとし、
そこに結局は自分の生のすべての意味を見出し続けるのだ。
いかがでしょうか。
内容において、マルローの言葉と全く重なります。
さらにマルローは
フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。
フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、
こんなにすくない撃沈数なのになぜ若い命をと、疑問を抱く者もいる。
そういう人たちに、私はいつも言ってやる。
《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、
自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。
愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。
これは、世界に普遍的な考え方とは言えないでしょうか。
フランス人が一般的に特攻をどう考えるかをこう語っているのに対し、
パンゲは
われわれには不可解な行為に見えたのだ。
強制、誘導、報酬、妄想、麻薬、洗脳、というような理由づけを
われわれは行なった。
しかし、これは一般的な見方というよりは、むしろ逆説から入る強い肯定への布石に思われます。
(スイカに塩をふるようなもんでしょうか)
しかし実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、
水晶のごとき自己放棄の精神を そこに見るべきであったのだ。
心をひき裂くばかりに悲しいのは この透明さだ。
生きていることが美しかるべき年頃に、
立派に死ぬことに これらの若者たちは皆、心を用いた。
そのために彼らは人に誤解された。
マルローもパンゲも、この「自死」を、ただ無私の死、尊い行為としての死と捉え、
その精神性を高く評価しているという点では同じ視点を持っていると思われます。
またパンゲは、世界の歴史に、例えば以前書いた「橋の上のホラティウス」の如く、
自分の命を投げ出して国を、仲間を救うという勇者は数多く存在すれど、
日本の特攻隊のように、命令を受けてからそのために、ときには何カ月もそのための訓練を受け、
その死に向かって歩んで行く、というようなものは歴史的にも類をみない、とも書いています。
それはつまり国から命じられた組織的な死だったからさ、と戦後自虐派日本人は言うでしょう。
しかしこれもパンゲに言わせると、その死が狂信的でも衝動的でもない、
選びとられた「自死」であることの証左のひとつとして数えられるのだそうです。
特攻の発案者と言われた大西瀧次郎の真意は、側近に漏らされた大西本人の言葉によると、
「彼らの死によって未来に日本人を生かすこと」であったそうです。(草柳大蔵『特攻の思想』)
知覧に遺された彼らの遺書、遺墨には決して書かれることはありませんでしたが、
彼らのうち少なくない人数、ことに予備学生たちは、己の死は日本の勝利に寄与しない、
つまり日本は負けるかもしれない、ということを知りながらも、死ぬことを受け入れて往きました。
なぜか。
それは、日本のアイデンティティを、自らの死によって後世に伝えるためでした。
たとえ戦争に負けることがあっても、自分たちの死が語り継がれる限り、日本は滅亡しない。
大西長官が期した「自死」の意味を、つまり彼らは言われずとも、自らで見出していたのかもしれません。
「自分の愛する人のため、と考えることによって自らの死を受け入れる」
先日コメントで頂いた、この特攻隊員の遺書における決意は、まごうことなき真実でありましょう。
しかしそれは、ひいては、自分の見たこともない後世の日本人のためであったともいえるのです。
再びマルローとパンゲに戻りましょう。
よって、彼らは特攻を、特攻による「自死」を、賞賛するのです。
彼らがその自死によって遺してくれた、絶対的な愛。
その中に生きることができる、現代のわれわれ日本人よりも、もっと高らかに。
彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。
彼らは確かに日本のために死んだ。
だが彼らを理解するのに日本人である必要はない。
死を背負った人間であるだけでよい。(パンゲ)
私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、
いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに
男の崇高な美学を見るのである。(マルロー)
フランス文学の篠澤秀夫氏がどこかで語っていたことですが、1959年頃、留学中の
パリの映画館で、特攻隊の実写フィルムをフランス人に混じって観たことがあるそうです。
敵艦に向かって突っ込む日本機、そのほとんどが撃ち落とされて海に墜ちていく。
そのうちその中の一機が見事機体を命中させたとき、
驚くことに観ていたフランス人からは揃って拍手が沸き起こった、というのです。
フランス人は、特攻隊員たちの自死の意味を、「愛」だと理解してくれたのでしょうか。
「メルシー、メルシー」
篠沢氏が思わず呟いたのは、彼らへの感謝の言葉であったそうです。