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メダル数は国力か

2012-08-08 | 日本のこと



柔道の男子が今回一つも金を取れず、監督が泣いて「国民に謝った」ことについて、
「何も泣かなくても」「国のために戦っているわけでないだろう」などという声がありました。

しかし、もしあの場で「国のためではなく自分のために力を尽くして戦ったのだから満足です」
などという言辞があったら、それはかなり奇異なことに思われるに違いありません。
全ての選手は国の代表であり、彼らは国を背負って戦う、それがオリンピックというものだからです。


問題は、この「国を背負って戦う」という構図に対してなぜか斜に構える日本という国の姿です。
そして、その原因となっているのが、案の定この国のマスコミではないかとわたしは思っています。


「ガンバレ、日本」
そうお題目のようにキャッチフレーズを繰り返すマスコミですが、金メダルを取ればちやほや、
取れなければ叩く、戦略的な試合をすれば「フェアでない」などと言って叩く。
傑出した選手も、自分たちの意に染まない態度を取ると印象操作、時には捏造までして叩く。

つまりメディアというのは常におのれの仕事のネタとしての「物語」をスポーツに求めているだけで、
決して選手たちを応援しているのではない、ということなのです。

マスコミにつぶされ、或いは精神的に追い込まれたアスリートは円谷幸吉だけではありません。
「国民の期待」
そもそもこの言葉にしても、実はそれはマスコミが作りあげた「雰囲気」にほかなりません。
国民全員が期待するにいたる過程は、マスコミの誘導なくしてはありえないのです。

千葉すず選手が、結果を残せなかったことを某キャスターに揶揄され、ブチ切れた話があります。
このとき、彼女は「日本人はメダルきち○い」と言ったそうです。
彼女の認識における「メダルにこだわる日本人たち」。
彼女は見誤っていたようですが、それは実はマスコミの作りあげた「空気」に過ぎないのです。

選手たちはマスコミによって醸成され強制的に背負わされる「金メダルの期待」を、
たとえば千葉すず選手のように「日本」からのものだと勘違いしてしまうのです。

「国が期待している」
というのは、具体的には選手が金メダルを取れるような環境を国家ぐるみで整えることを言います。
中国のホテルで支配人をしていた知人が、
そのホテルで開かれた優勝選手の祝賀会の詳細を語ってくれたことがあるのですが、
何でも中国では、オリンピックで優勝すると賞金は勿論、一生年金で暮らすことができ、
家、車も国から賞与されるとのこと。

優勝した選手にたかだか50万円くらいしか出さないのが日本。
選手がアルバイトまでして競技に臨む様子を、むしろ美談として報道するのが日本のマスコミです。
かたや、優勝すれば一生安泰に暮らせるような国で、可能性と才能のある人間がスポーツを志す、
その数は競技人口の差にすらなってきて当然です。

特に社会主義国にとって、オリンピックは国威発揚の場です。
例えば旧東ドイツでは、選手強化に多大な国費が投じられたばかりでなく、
ほとんどの選手が成長抑制や筋肉増加の薬を摂取させられていたと言われています。
東西ドイツが統合したとたん、ドイツはそれほどメダルを取れなくなってしまった、というのは
国家が国力を注ぎ込むことが有効であるかの証左でもあると思うのですが、
日本の成績は「金を出さない国がどういう結果を出すか」のこれもまた証左であろうと思われます。

ここに北京オリンピックのときの各国のオリンピック選手強化費用をあげます。

アメリカ 165億円
ドイツ  274億円
中国   480億円
イギリス 470億円
韓国   660億円
日本   27億円


それにしても、この日本の金額の少なさは、涙が出るほどです。
しかも、この27億円にあのレンホーたちが目を付け、行政刷新会議の事業仕分け対象になり、
「これ以上減らされては」
と、五輪メダリストたちが共同会見を開き訴えをした、というニュースもありました。

(民主政権になってから、特に武道に対する強化費用が異常に減らされてしまったそうですが、
これは何を意味しているのでしょうかね?)

こういう仕打ちを国がしている限り「金メダルに国が期待している」などとは言えないでしょう。
つまり「国は全く無関心、その当然の結果をマスコミが国民を代弁したふりをして叩いている」
に過ぎないのです。

それにしても、こうして各国の数字を見ると韓国の異常さが際立っていますね。
韓国はGDPにおいて日本の5分の1以下の国ですし、IMFのお世話になったばかりです。
しかし、これほどの強化費用を、射撃やアーチェリーなどの隙間的スポーツに注いだ結果、
金メダルの数だけはいつも日本を上回るまでになりました。
後進国、中進国ほどこういう国威発揚のために国費を注ぎこむものですが、この異様な金額。
おまけに、今回はサムスンが公式スポンサーになっていますから、
このあたりから出た資金の何割かは、もしかしたら審判への袖の下に・・・・おっと。

そこで、最近とみに韓国ヨイショの目立つマスコミです。
バンクーバーオリンピックあたりから、この結果に狂喜せんばかりに、
日本は駄目だが韓国はこんなに凄い、といった調子でいつも過剰報道を行っているそうです。
(わたしはリアルタイムでTVを観ないので、あくまでも後からの総合的判断ですが)

その報道も、各国の、特に韓国の異常な強化費用の多さ、対する日本の惨憺たる状況をあげて、
対費用効果を出したうえで客観的に報じるなどということは決してせず、
ただ「日本のダメぶりと韓国のすごさ」を単純に比較していたのであろうと容易に想像できます。

しかしみなさん、公平にこの強化費用から判断してみると、逆にこの少ない費用で、
日本選手は頑張っているではありませんか。
どこかのサイトで、対費用効果を比較しているものを見ましたが、

1、日本
2、アメリカ
3、カナダ

という順で、日本のコストパフォーマンスは断トツでした。
監督が泣き崩れた柔道にしても、銀2、銅2とメダルは四個取っているわけです。

「落日のお家芸」

したり顔でマスコミがすでにこんなことを言いだしているようです。
勿論金メダルを取れなかったのは初めてで、関係者のショックは一通りではないでしょうが、
これもどうなんでしょうね?

今回いくつかの柔道の試合を見ましたが、審判に何やら買収されているらしき動きあり、
腕を壊しに来たり、勝ったら選手に馬乗りになったままガッツポーズをしてみせたり、
つまりはもう「柔道」じゃないんですよ。
武道の「道」なんて薬にしたくともない、単なる日本発祥のスポーツじゃないですか。

東京都知事は「けだもの同士の戦い」と言って、一部の非難を浴びているようですが、
言葉のセレクトの是非はともかく、「オリンピックのJUDOはもはや武道とは言えない」
と言いたかったのでしょう。

根本の形が変わってしまった以上、強化費用の潤沢な国が徹底的な研究と対策をしてきたり、
そして礼儀を重んじるなんて一文にもならんことより、審判を小金で買収してでも勝てばよし、
と考える国が出てきたりすると(どことはいいませんが)とても精神論で勝てるとは思えません。

「日本は銀銅コレクターか」

中国のネット言論がこのように今回の日本を揶揄していると聴きました。
確かに、水泳など見ているといつも当たり前のように二位か三位に日本選手が入っていて、
その安定ぶりに「またw」とつい笑ってしまうほどでした。
金金と五月蠅いマスコミには、金以外はメダルではないのかもしれませんが。

しかし、繰り返しますが、世界(実質)2位の経済大国にして、この強化費用、
そしてこの強化費用にしてこのメダル数です。
マスコミは、金が取れないと文句を言うなら、選手にではなくまず国に言うべきです。



しかし、我々はうわべのメダル数に一喜一憂するべきではありません。

あるスポーツジャーナリストによると、オリンピックにおける国の実力は、メダル数より、
むしろ参加種目数と入賞者の数で見る方が公平だということです。
日本はハンドボールやバスケットボールなど予選で負けた競技も入れると、
ほとんどの種目に何らかの参加を果たしていますし、歴代大会の入賞者数は決して悪くありません。


マスコミが駄目だと言い募るほど、日本は駄目でもないのです。
そのマスコミの大好きな民主政権が、パフォーマンスのため仕分けで費用を削った結果、
「二位じゃなダメなんですか」の呪い、あるいは当然の帰結として金が取れないのなら、
それは彼らの自業自得とも言えます。

選手にはいい迷惑ですが。

ところで、再び韓国についてですが、とにかく勝ちを取るためにどんな手でも講じるといった姿勢が、
2002年のサッカー・ワールドカップで世界の明るみに出たのは記憶に新しいところです。

そうやって取ったスポーツ大会の結果を、国力やましてや民族の優秀性につなげられたり、
あるいは前述のように日本のメディアがやたらヨイショするのも本当にうんざりするのですが、
こんな話があります。

今回のロンドンオリンピック、韓国勢がメダルを取りまくるアーチェリーで、日本が銅を取りました。
これは、わたしも全く知らなかったのですが、日本にとって初めてのことだったそうです。
3位になったのは早川漣選手。
帰化した元韓国選手だそうです。

さっそく韓国は「実質韓国の勝利だ」「日本は韓国人の力を借りないとメダルも取れない」
と日本を貶めついでにはしゃいでいたそうですが、早川選手本人はこう言ったそうです。

「韓国では4位になると何をしているのかと叱られるが、日本では皆入賞したと誉めてくれる。
日本に来て競技するのが楽しい」

彼女が韓国では決して与えられなかった、スポーツ競技に元々あるべき精神的喜びが、
日本では与えられたということのようです。
早川選手はそんな日本のためにメダルを取って、それに報いたとも言えます。

また、今大会では買収疑惑でオリンピックを追放された審判があったそうですが、
日本人の審判は常に公正で、日本選手もそのフェアプレーぶりには定評があるそうです。


いつも愚直なくらい公正で、どんな競技も道を究めるために精進し、健闘の結果を讃える。
敗戦を語る将は決して選手を責めず、勝ては選手を称えるのが、日本の、
いや民度ある国の(先進国とは限らない)スポーツのあり方なのではないでしょうか。


マスコミの言う「国民の期待」などに答える必要はありません。
しかし、誰のために戦おうと、選手は日本の代表なのです。
勝利した選手が表彰台に立つとき、ポールに揚げられるのは選手の属する国の国旗であり、
選手の勝利を讃えてその国の国歌が流されます。

全ての選手が自分を讃えてくれる国旗国歌のために戦って欲しい、と願わずにはいられません。


因みに、ここアメリカではしょっちゅうメダルの獲得数をテレビで流しますが、
日本はいつも上位にランクされています。
金メダルの数ではなく、金銀銅の合計数で順位をつけるからです。

日本も、そうしたらどうですか?