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潜水艦ろ号未だ浮上せず

2012-08-17 | 映画

潜水艦映画、というのは他の戦争ものにはない面白さがあります。
「ローレライ」「真夏のオリオン」など、近年日本映画が相次いで潜水艦をテーマにした
戦争映画を作ったのも、このあたりが理由ではないかと思うのですが、
それは、先日「どんがめ下剋上」という稿で熱く語らせていただいたように、
潜水艦乗員が「一蓮托生のチーム」であること。

「死ぬ時は皆一緒」。
この、生死を共にする連帯感と、乗員同士の結束は最も強固ではないかと思われます。

これまでの潜水艦ものは、そのほとんどが「艦長が主人公」として扱われています。
それは、この「どんがめファミリー」の家長であり、その命令が総員全ての運命を左右する
潜水艦艦長という男の仕事が、実にヒロイックだからではないでしょうか。


この映画の珍しいのは「ろ号潜水艦」が題材であること。
一般に伊号は散々あちらこちらで語られていますが、呂号についてはあまり話題を聞きません。
戦後潜水艦乗りがいくつか回想録をだしても、それは必ず伊号の生存者です。

ガト―級の伊潜がヘタしたら150人くらい乗れるのに対し、呂号はほとんどが45人前後、
多めの一クラスくらいの規模ですから、生存者が少ないというのもあるでしょう。

単純に、伊号>呂号>波型
という順番で潜水艦のサイズは小さくなっていくのですが、
この映画が、伊号ではなく呂潜乗りを描いた意味はどの辺にあったのでしょうか。

そんなことを考えながら、この1954年度作品「潜水艦ろ号未だ浮上せず」を鑑賞しました。


激しい戦いを終えて、基地に帰投し、上陸が行われるところからドラマは始まります。
艦長の佐々木少佐(藤田進)
インコをペットにしている特務少尉の岩城砲術長
クールな堀田先任将校。(丹波哲郎
そして、料亭のエス、梅さんとインチの関係である、立花看護長

丹波哲郎はこの頃32歳。
大尉の役にはちょうどいい年齢ですが、もの凄く痩せています。

堀田先任は艦長にも「一人の命のために判断を間違ってはいけません!」と意見具申する、
やたらかっこいい大尉です。
どうもスタイルに強いこだわりがあるらしく、最後に全員が「轟沈」と書かれた鉢巻きをしているのに、
この人だけは軍帽のままです。

さて、皆が上陸した料亭では、皆がしんみりと「同期の桜」を(しかも二番まで)歌ったりします。

「カタブツの真面目」ということになっている調音長の永田大尉
隣にイマイチのエスが来ているときは勿論のこと、、美人の幸子さんが、
吸い物の蓋を取るのに苦労している大尉に「やりましょうか」といっても、つれなくあしらいます。
真面目というより、レスに来ているのに空気読め、って感じの朴念仁です。

永田大尉、何を意地張っているのか、「自分のことは自分でします」と言い張り、
案の定ぶちまけた吸い物で幸子さんの着物を汚してしまいます。

しかし、幸子さんが美人なのですぐに謝ります。
二人はすぐに仲良くなり、上陸時の下宿(おばあちゃんが浦辺粂子)を紹介してもらうまでに。

それはそうと、海軍兵学校の「礼法集成」の中の「和食を食べる際のマナー集」に、
「吸い物の蓋を取るときは少し縁を押さえて」ってちゃんと書いてあるんですよ、永田大尉。


こうやって二人の間には、なぜかあっという間に愛が芽生えます。
しかしこの永田大尉も、看護長立花大尉も、そろいもそろってエスに本気になるとは何ごとか。
いや、本気になったって別にいいんですが、問題は立花大尉。
芸者梅に、なんと結婚を申し込みます。
梅さんが「でも、あたしこんな商売なのに」というと、
「うん、それも話してあるんだ。どうしても、連れてくよ」(ニコニコ)

いや、両親が良くても、きっと海軍大臣の許可が下りないんじゃないかなあ・・・。


艦長佐々木少佐は、どう見ても40を下らなさそうですが、4歳くらいの一人息子がいます。
夫人もかなりの年配のようで、この息子、マサ坊は、
「夫婦があきらめていたときにひょっこりできた子供で、目の中に入れても痛くない」一粒種、
という設定のようです。

この子役の男の子、もし健在なら、現在もう62歳か・・・・・・・。


頼もしい艦長の下にチームワークで、これまでの戦闘を勝ち抜いてきた呂潜。
しかし、海軍本部に、性能のいい電探をつけてくれと頼むもすげなくされ、しかも、
南洋の、兵站が底をついた島の守備隊に救援物資を届けるという任務を命じられます。

この任務、防水袋に入れた物資を海中に投入し、一人が一つずつ持って島まで泳ぎ、
また再び艦まで泳いで戻ってくるという、過酷なもの。
呂潜が少人数ゆえ、「使い勝手がよく」無茶な下命をされた、という設定でしょうか。

それにしてもこんな実話、ないですよね?
このあたりの海って、フカがうようよいそうだし。
なかったと言ってくれ。

そして、案の定、島にいる兵の看護のため、一人帰還の遅れた立花看護長が
まだ泳ぎ着いていないのに、ああ無情の敵航空機襲来。
泣きながら急速潜航を命じる佐々木艦長。

合掌。

満身創痍で帰ってきた呂潜に対し、矢継ぎ早に次の命が下ります。
今度こそおそらく生きて帰れまいと覚悟をした各乗員は、彼らなりの「用意」をします。

水雷長はインコにお嫁さんをあてがってやり、艦長は病気の息子を医者に託し、
永田大尉は幸子に母の形見の指輪を預けて去る、という風に。



そうやって出撃した呂潜は、行動海域で原子爆弾を運搬している「インディアナ・ポリス」を発見。
最後に残された魚雷でこれを轟沈することに成功します。

実在の重巡洋艦インディアナポリスは、1945年7月30日、
日本軍の放った三発の酸素魚雷を受け、沈没していますが、これ呂潜ではなく伊五八潜で、
しかもそれは、ご存じのように、インディアナポリスがテニアンに原子爆弾を届けた後のことでした。

この映画中、なぜか呂潜の航海長が、暗号を解読して
「インディアナポリスは原子爆弾を運んで航行中」などと言ったりします。
しかし、こりゃー無茶なセリフでしょう。
そもそも、7月30日時点で、「原子爆弾」と言う名称が、いくら暗号解読したからって、
当時の日本人の口からスラっと出てくるはずはありません。

しかも、呂潜はインディアナポリスを原子爆弾と共に沈めた、って?

・・・ということは、この後日本に原子爆弾が落とされることはなかった、ということですかい。


というわけでこの映画、ちょっとしたSF仕立てになってしまっているのです。
「IFもの」とでもいいましょうか。

IFと言えば、歴史に「たられば」は無いとは知りつつも、ついつい考えてしまうのですが、
伊55潜がもう少し早く、つまりインディアナポリスをテニアンに着く前に沈めていたら、
もしかしたら今ある世界の形は変わっていたのでしょうか。


ところで、この映画、ところどころに挿入された実写フィルムも興味深く、
細かいところでは、たとえばちゃんと砲術長のインコについても、丁寧にエピソードが語られ、
全体的になかなかよくできた話なのですが、
いかんせん、役者がヘタぞろい。
主役級の永田大尉、立花大尉、岩城砲術長が総員(棒)。
どれくらい酷いかと言うと、藤田進のセリフが上手く聞こえる、というレベル。

でもまあ、エリス中尉がこういう話に点が甘いのは、いつものことです。
面白かった、といっておこう。



その中でも、特に一番面白かった、というかウケたシーンを。
置き屋のおかみにイケズされて、出撃前の永田大尉に逢うことができなかった芸者、幸子。
女将が預かった永田大尉の母の形見の指輪を見たとたん、病気の体をおして、
港まで全力疾走するのですが、これが、速い!

おそらくものすごく運動神経の良い女優さんだったのでしょうが、着物に下駄のまま、
通りをものすごいスピードで駆け抜けます。
その走り方が、決して両手を動かさず、下半身だけで高速移動しているかのごときで・・。

この幸子さんの走りっぷり見るためにだけでも、この映画を借りる価値ありです。(下図)