・・・・などというタイトルをつけてしまいましたが、
ここで創作小話を展開するつもりではありませんので念のため。
先週土曜日の夜、大曲の花火大会を観覧し、色々と思ったことを書いています。
「面白うてやがて哀しき花火かな」
と誰かが詠んだわけではありませんが、この花火大会ほど観るのに苦労を要するイベントは
そうないのではないかと思われます。
会場までたどり着くのにいかに大変な思いをしたかはすでにお話しましたが、
終わってからがまた大変。
70万人の人間が一斉に移動するのですから、河原から一般道に出るまで、
人がまるで団子のようになりながら進んでいきます。
ときどき警察官によって人の波は堰き止められ、オーバーフローになりすぎないように調節
されるのですが、それが絶妙のタイミング。
何度も毎年繰り返すうちに、警備体制や事故防止のためのマニュアルが何度も改善され、
すでに芸術の域にまで達していると言った感がありました。(大げさ)
そのせいなのかどうかはわかりませんが、TOや現地の方に言わせると、今年の終了後移動は
「信じられないくらい楽だった」とのこと。
去年は河原から出るのに40分くらい、駅までの道は時々前が詰まって歩けなくなるくらいで、
今年のようにとりあえず普通の速さで歩けるなどということはなかったそうです。
ところで冒頭の写真は、我々の団体が「帰りはここで集合」と決めた、花火会館の展示。
普段は何に使われているのかは知りませんが、この日は遅くまで開けて、
カルピスかコーラという究極の選択ではありますが、飲み物も頼むことができます。
いかにも近所のおばちゃんという感じの人たちが忙しく立ち働いていました。
このように花火玉がどのようなものか展示してあったり、疲れきっていて見ませんでしたが、
大曲の花火大会の歴史などもパネル展示していたようです(笑)
日時を決めたら花火をプライベートに上げてくれるサービス。
これはプロポーズに使えませんか?
彼女に内緒で注文して、デートで河原に誘い、そこでいきなりスターマインの大きな花火を上げ、
「これは指輪の代わりだよ。結婚しよう」とキメ台詞。
「指輪は無いの?花火だけ?信じられない!」
と実利的な彼女にキレられ、花火のように関係も終わってしまった、
というようなことになりさえしなければ。
(注:花火とは別にちゃんと指輪も準備しましょう)
どうでもいい話ですが、エリス中尉はプロポーズのときも婚約指輪をもらっていません。
理由??
「どうせ結婚指輪も要るんだし、指輪キョーミないから要らない」
と、くれると言うのを断ってしまいました。
後から考えると興味のあるなしの問題ではなかったような気もしますが。
指輪と花火なら花火がいいなあ、と思うこんなわたしは少数派でしょうか。
誰かが外で買ってきてくださったシャーベット。
花火アイスというそうです。
ここで約1時間時間をつぶしました。
なぜかというと、新幹線の時間の少し前まで、ホームに人は入れないからです。
大曲の駅前の広場には、看板があり、「11時40分の秋田行きこまち」などと書いてあるので、
そこで列を作って駅員が誘導するまで待たなくてはいけません。
夜とはいえ外で待つのは大変なので、この冷房の利いた室内で待機していたのでした。
このあたりも、毎年来ていて事情をよく知る方の立てた計画ならではです。
さて、花火そのものにもう一度話を戻して。
競技は「規定」と自由演技である「創造花火」の二本立てで行われます。
規定は、これこれこういう大きさで、と決められており、創造花火の方はフリーです。
創造ですから音楽が必ず付けられ、そのタイトルと共に、いかにその花火が芸術的であるかが
競われるのです。
使用された音楽にも定番があるらしく、オペラのアリア、「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」
や、リベラの「彼方の光」、NHKの朝ドラのテーマなどが常連なのだそう。
音楽が鳴りだしたとたん「あ、これ知ってる」と息子が言ったのが、「カーネーション」。
ちなみにタイトルは
「海より深き母の愛~カーネーションに想いを込めて~」
なんですが・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・。
しかし、本当にカーネーションに見えますね。
野の風に吹かれる可憐な花一輪。
花火というくらいなので、まさに花を模しており、ちゃんと花弁だけでなく茎も表現していますね。
ところで、花火師という仕事には、一流の芸術家に感じるような畏敬を持ってしまうわたしです。
火薬の配合と詰め方によっていかようにもなる花火。
火をつけて打ち上げるまで、どのようなものができたか知るすべはありません。
技術もさることながら、プログラムの構成、アイデア、選曲のセンスを始め、
曲にいかにぴたりと合わせた絶妙の打ち上げができるかのコンピュータ入力のセンスも必要です。
このようなあらゆる芸術的センスを要する総合的なものでありながら、
現場はあくまでも地味で、火薬にまみれて行う危険なものですらある。
しかも精魂こめて作りあげた花火の数々は、人々を感動させながらもあっという間に
夜空に消えていってしまうのです。
音楽であれば残された録音を芸術作品として楽しむ人はいても、花火は、それっきりです。
誰もが打ち上げられた瞬間はひどく感動しても、作品としてそれは評価されるわけではありません。
音と光の魔術に酔いしれる人々も、それを芸術作品として観ているわけではないからです。
花火職人とは言っても、かれらは花火芸術家とかアーティストとか呼ばれることはありません。
キャンドル・ジュンですら「アーティスト」と自ら名乗っているのに・・・(←)
なんと潔い、功を顧みられない、しかしだからこそ英雄的な芸術なのでしょうか。
従って、男の仕事として、ヒロイックで、こんなに絵になる仕事はない、と個人的には思うのです。
ヨーロッパのとある一流ホテル、花火の行われた盛大なイベントの後、
着飾った人々でにぎわうロビーに、一人の日本人が現われた。
すすけて汚れた男の様子に、人々は一瞬眉をしかめたが、ホテルの支配人が
「この方は本日のあの素晴らしい花火を上げた芸術家です」
と日本人を紹介すると、皆一斉に盛大な拍手を送った・・・。
という話が好きです。
帰りの羽田行きの飛行機。
隣の席にいかにもマスコミ、しかもテレビ関係の仕事をしている、という雰囲気の男性がいました。
わたしはこの人の履いていた7センチは底があるのではないかと思われるシークレットシューズ
(スニーカータイプ・白・合皮・中国製・19800円)
をぼーっと見ながら「カツラとかシークレットシューズって、やはり分かってしまうものだなあ」
などと、感心していたのですが、そのうち彼がおもむろにノートを広げだしたので、
彼がどうやら脚本家であるらしいと見当をつけました。
「なぜこんな花火帰りの客の中でこの人は仕事をしているのか」
などと考えていて、こんなことが思い浮かびました。
男性は「お父さんの花火」(仮題)という、テレビドラマの脚本を任されていて、
それはシノプシスまですでに出来上がっているのではないだろうか。
(内容)
ドラマの舞台は秋田で、一家の父は花火師。
大曲の花火大会に、弱小花火工房を率いて、少ない予算で挑む。
もう仕事も無く、つぶれる寸前の花火会社。
花火師は、総理大臣賞を取れば、次の年の栄達が約束されるこの大会に勝てなければ
会社をたたみ花火師をやめるという決意をする。
「しかし、優勝できたら、帰ってきてくれるか」
花火師は別居中の妻にも懇願する。
夢ばかり追って一流会社の就職を蹴り、花火職人になった夫を、妻は理解しようと努めるが、
子供(男の子)を連れて実家に帰ってしまったのだった。
妻は答える。
「あなたが花火師をやめてもっと堅実な仕事についてくれるならもう一回やり直しましょう」
彼の工房は優勝を逃す。
男は花火師をやめる決意をし、最後に、工房に残った全ての火薬を使って一世一代の花火を、
家族だけのために上げるのだった。
彼の息子はそれを見て叫ぶ。
「お父さん、カッコいいよ!僕、大きくなったら花火師になる!」
狼狽する妻の顔を、夜空の花火が照らし出す。
そのころ、日本の大曲からシリコンバレーに帰ったばかりの世界的IT企業の大物が、
彼に連絡を取ろうとしていた。
「マップル・ソフト」の創始者スティーブ・ゲイツは彼に打つメールの内容を秘書に告げる。
「わが社の新機軸となる新作製品の発表イベントにあなたの花火をフューチャーしたい。
至急連絡が欲しい」
そんなこととは夢にも知らない男は、家族のためだけに彼の最後の仕事にになるはずの
花火を打ち上げ、火薬にまみれた手で妻子を抱きしめるのだった。
・・・うわー、おもしろくなさそう。
しかし、実際に大曲の花火を見ないと、ディティールが全く書けないんだよ俺は!
ということで、この脚本家は製作費から大曲行きのチケットを手に入れ、ついでに、
中継をしているNHKのクルー席からちゃっかり花火を見物した帰りなのではないでしょうか。
さて、花火が全終了して打ち止めになったとき、去年は無かった趣向として、
対岸にいる全花火師が、赤いライトを振って観客に「カーテンコール」をしました。
対岸に切れ目なく並ぶライトの数は、あらためてこれだけたくさんの花火師が、
今日の宴を演出していたのだと驚かされるほどでした。
「花火師たちに拍手をお願いします!」
「それではお手持ちのライトを花火師たちに振って健闘を讃えていただければと思います!」
いちいちアナウンス通り、素直に行動する観客たち。
携帯やペンライトを振る観客。
運営委員会によってこういうアイディアが毎年協議され、毎年いろんなイベントが添加されて、
大曲の花火大会はどんどん巨大な『ショー』になりつつあるようです。
花火師たちに敬意を払うような演出、勿論大賛成ですが、
「菊作り 菊見るときは ただの人」
この句に見えるような「職人の精神」もまた、日本らしくて粋だと思うんですけどね。