今日は宇治市にあるもう一つの世界遺産「宇治上神社」と「宇治神社」をご紹介します。
「宇治神社と宇治上神社」
宇治上神社は醍醐天皇のとき、山城の国司が社殿を造営したのが起源とされ、平等院が建立されるとその鎮守社となったと伝えられています。
かつては隣接の宇治神社と二社一体で、宇治上神社は「本宮」あるいは「離宮上社」(りくうかみしゃ)と呼ばれ、宇治神社は「若宮」あるいは「離宮下社」(りくうしもしゃ)と呼ばれていましたが、明治時代に分離されたそうです。
「宇治神社」
御由緒によれば、宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひけたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられており、菟道稚郎子命の死後にその神霊を祀ったのが、この神社の始まりです。
・宇治神社の鳥居です。
「本殿」
本殿には左から、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟君)、応神天皇(父君)、仁徳天皇(兄君)が祀られています 。
応神天皇は菟道稚郎子皇子を皇嗣と定められ皇太子としたが、310年、応神天皇が崩御したときに菟道稚郎子は兄である大鷦鷯尊(おおさざきのみこと・のちの仁徳天皇)に皇位を譲ろうとした。
しかし父に背くことになるとこれを固辞、3年間天皇がいない状況が続いたため、兄に皇位を継がせるべく菟道稚郎子は宇治川に入水して命を絶ったと、悲運の皇子として日本書紀に書かれているそうです。
「宇治上神社」
「宇治上神社」は宇治川東岸、朝日山の山裾にある神社です。
祭神は、本殿左殿(向かって右)に菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)、中殿にその父の第15代・応神天皇、右殿に兄の第16代・仁徳天皇が祀られている。
以前より、建築様式から、おそらく平安の建物だろうと推測されていましたが、2004年、年輪年代法を用いた測定で、本殿は1060年、拝殿は1215年に建てられたことが裏付けられました。
現存する神社では日本最古の神社建築として、1994年、世界文化遺産に登録されています。
「宇治上神社拝殿 :仮本殿」
縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた独特の美しい屋根が特徴的で、1215年頃造られたと言われています。
その美しさから、宇治離宮「宇治院」の建物が下賜されたのではないかとも言われています。
切妻造桧皮葺きで左右にひさしを出し、中央には板唐戸、左右に蔀戸(しとみど)があり、鎌倉時代の寝殿造形式の住宅建築として国宝に指定されています。
「本殿」
拝殿の裏手にあります。
現在、修復中ですが、覆いの中には左殿、中殿、右殿、と三つの社があり1060年に造られた事が分かり、神社としては日本最古のものであるということが確認されており、国宝に指定されています。
「桐原水」
宇治七明水として、唯一現在でも湧き続けて残っているのがこの「桐原水」です。
拝殿の右側に「手水舎」と書かれた小さな小屋に囲われています。
他の宇治七明水が枯れ上がってしまったのに、この「桐原水」は絶えることなく湧き出ているそうです。
この水は神社にお参りする時に手を清めるための水であり、そのままでは飲料に適しません。